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陶匠 辻 清明の世界ー明る寂びの美 東京国立近代美術館工芸館

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 最近、陶芸、やきものに興味を示す友人から、
 「辻清明の世界」タッチ&トークに参加してみようと誘われて
 竹橋の近代美術館の常設をするっと鑑賞し、
 工芸館のタッチ&トークを初めて体験してきました。

 辻清明、この陶芸家の作品をどこかで見ています。
 もちろん、ここ、工芸館でユニークな空き缶の作品も見ていました。

 とはいえ、どんな作家で、どんな作陶をしてこられたのか、
 まったくの無知でしたが、
 この機会を得て、とても惹かれる陶芸家だったことを知り
 大変喜んでいます。

 タッチ&トークでは
 なんと、貴重な作品を直に手に持つありがたい体験が許されます。
 30分、存分になで回し、間近に息を吹きかける距離で観察できるのです。
 その後、30分、会場でピックアップされた作品の前で
 興味深いエピソードも交えた解説をして頂きます。
 約1時間の中で印象に残ったものをおぼろげな記憶ではありますが、
 メモにしておこうと思います。

 *タッチ&トーク 14時〜15時
 
  辻清明作品が3点
  他、備前茶碗2点、小ぶりの徳利1点、萩焼茶碗1碗、
  磁器の大きな壺、皿一点ずつがテーブルの上に並びました。

  辻清明作品は信楽の土を多く使用しているようです。
  陶芸に選ぶ土としては珍しい事だと思いました。
  長石というざらついた小さな石が信楽独特の表情を作り出しますが、
  辻作品の茶碗は内側を丁寧につるつるにして茶筅を守る工夫がしてありました。
  窯の中で茶碗を横に寝かす場合、貝殻を下に置いて安定させるのだそうです。
  貝の筋目が確認できました。
  他に唐津の絵付けふくろう茶碗、
  たっぷりした徳利の手触りを楽しむことができました。

  合わせて、備前焼人間国宝の金重陶陽の作、
  前田昭博(まえたあきひろ)の青瓷壺(せいじつぼ)は轆轤で練りあげたとは思えない
  端正な流線が美しい花瓶。
  大皿の表面に芥子の花を貼り付けた、青白磁の久保田厚子作品などを
  間近に触れる機会を得たのは大変貴重なことでした。
  萩茶碗の作家名は聞き損じ、残念なことをしましたが、
  井戸茶碗型のたっぷりした、茶陶らしい、茶碗でした。

  次に、会場に移動し、辻作品の前で解説をして頂きました。
  工芸館のサイトに辻清明の年譜がありますので、参考にして下さい。
  サイトはこちら

  なにしろ、幼少の頃に轆轤を手に入れ、
  9才の誕生日にあの仁清の色絵雄鳥香炉が欲しいとねだり買ったもらった、
  という信じられないエピソードに驚嘆しました。
  買ってもらえる環境だったという事にも驚きです。
  14歳の時にお姉さんと「辻陶器研究所」を立ち上げ、
  これまた板谷波山、富本謙吉のもとに行き、自作を講評してもらうなど、
  天晴れすぎる青少年期を過ごすのです。
  のちに小山富士夫氏に六古陶を学び、37歳で「明る寂び」の言葉と出会い、
  信楽の土にその道を見つけるのでした。

  順調だった作陶生活でありましたが、
  辻氏62歳の1989年に穂高にある工房を焼失してしまう惨事にみまわれ、
  コレクション、書籍など2千点余りが焼失してしまったそうです。
  どれほど落胆されたことでしょう。
  ところが、よく年には残された土で作陶するし、
  63歳の時にガラス作品を手がけたり、
  一歩も後戻りなどせずに前を向いて制作に邁進されたのでした。

  復活を遂げたときの「白樺の林」と名付けられた茶碗には思いも深く、
  大変お気に入りだったようです。
  「聚楽掛分茶盌」(茶碗の碗を使わずに「盌」を使用)


  
  師を持たず、自由でユニークな作陶をした代表に
  「信楽陶缶」がありますが、1981年からずっと制作が続きます。
  最初にその作品を買ったのが、安部公房さんだったとか。
  辻家の周りには錚々たる面々が集まってきたようです。
  陶缶は晩年亡くなる直前、2006年にも制作されています。



  
  工芸館の中で一番重要な畳の展示場所に
  巨大な合子、「信楽大合子 天心」が鎮座します。
  背景にかかる書は「壺中日月」辻清明書。
  フライヤーに登場した迫力溢れる作品です。
  書も師を持たず、自己流だったとのこと、それにしても
  悠々たる味のある書です。
  ガサガサの表現は普通の筆ではないと思い、
  お尋ねすれば、なんと縄、を使われたとのこと。
  火襷の藁を使ったのかと想像しましたが、自由人のおおらかさに
  心和みました。
  それにしても巨大な合子、球体が窯焼きに耐えかねて
  ばっくりと大胆に裂けたその裂け目が強烈な印象を与えるのです。


  
  様々作品が並ぶ中、若かりし頃の作品が余りにもきっちりとしていて
  凛々しさの白磁作品にまたしても驚かされてしまいます。
  「白磁香炉」1941年
  「白磁香合」1943年
  辻清明、14歳、16歳の作品で、実に端正で真面目に作陶しているのですが、
  これをもって板谷波山、富本憲吉のもとへ行ったという、曰わく付きの作品です。
  それに対し、板谷波山、富本憲吉両巨匠は子供扱いせずに
  きちんと講評したそうで、それもまた立派なことだったと感心します。
  それにしても大胆かつ勇気のある少年です。



  今の中学生棋士のような類い希な才能を自覚していたのでしょうか。
  以下、会場内の作品画像アップします。













  作品の展示の後半は
  辻清明コレクションです。
  これがまた、大変な古美術ぞろりで恐れ入りました。
  最初に縄文、「亀型笛」です。


  古墳時代のもの、平安期の猿投、室町の瓶子、蹲(うずくまる)
  桃山の茶陶ずらり、李朝期の白磁、青磁、などなど。


  小壺 蹲 室町時代 信楽


  斑釉貝形小杯 江戸時代 萩 (これは作品名と作品が合っているのか、未確認です)


  姥口鉄銚子・赤絵蓋 蓋 江戸時代  黄瀬戸小盃 桃山時代


  粉青沙器印花象嵌瓶 会釈 朝鮮王朝時代


  伽藍石香合 桃山時代 伊賀  木菟香合 桃山時代 信楽

  最後は辻氏と交流、同時期の作家作品。
  夫人の辻協作品も。
  夫人も陶芸作家でした。

  限られた時間でざっくりの鑑賞でしたので、
  できればもう一度丁寧に拝見したいと願いました。

  信楽の土の魅力に惹かれた、類い希な陶芸家、
  辻清明の堂々たる個展、今回の展覧でまた一人、
  大切にしたい陶芸家が増えたのでした。

  会期は11月23日まで。晩秋に再訪したいと思いました。
  チャンスがあれば、タッチ&トークお試し下さい。
  工芸館のガイドスタッフのみなさんが丁寧にガイドして下さいます。
  毎週水曜日、土曜日。

  工芸館タッチ&トークサイトはこちら。詳細チェックでお間違いなきよう。

  *今回の展覧はカメラOKの作品が多く、楽しめます。
   不可の場合がありますので、ご注意下さい。
  *辻清明氏の「辻」は点が一つのものです。パソコン漢字になかったため、
   便宜上「辻」を使用しています。

今年2017年もあとわずか

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 大変ご無沙汰いたしました。

 何がそんなに忙しかったのか、ちょっと振り返りたいと思います。

 6月のいけばな展でご一緒したグループの再結集があり、
 12月の展覧会へとスタートを切ったものの、
 経験値の低いメンバーで何ができるのかと不安を隠せませんでしたが、
 力強い大先生のご指導を全面に頂きながら、試行錯誤しながらも
 地味な作業の積み重ねをしてきました。

 数回にわたる大先生のご指導の下、ようやく12月に展覧会を
 開催することができました。

 8月にグループ名を決め、
 9月は具体的な作業開始、
 10月は草月流展があったり、
 メンバーの負傷、他のメンバー離日などなど、様々なアクシデントに
 見舞われましたが、
 12月7〜10日までの展覧会にこぎ着けることができました。

 その間、DM発送や、作業場の確保、材料の調達、などなど裏方仕事も
 沢山学ぶ事となりました。

 何かを成り遂げることの苦労は、常日頃、そのような事を裏で支えてくれる
 方々のお陰だということもしみじみと実感できたのでした。
 本当に、恵まれた体験、経験、学びでした。

 間には、いつものお稽古があったり、勉強会があったり、
 陶芸教室に出かけたり、
 女子高の華道部の文化祭があったり、
 企業の華道部のお手伝いもさせて頂きました。
 また、新たな都内での活動の運営にも携わることとなり、
 本当に、慌ただしい花活年間でした。

 他にも、市川にご縁のある方の活動にも参加し、
 こちらも何とか、前進を見つけることができました。

 還暦アニバーサリーとしては、
 かなり盛り沢山な一年で、旧友たちとの再会は大変嬉しく、
 人生の山坂をそれなりに超えてきた友たちの懐の深さに
 安堵するのでした。

 来年はもう少し足下をしっかり見つめ直し、
 丁寧な活動を目指したいと思います。

 美術館巡りも、慌ただしい中ですと、
 心に余裕がなく、見る目も落ち着かず、良いことがありません。
 
 それでも、鑑賞することは精神安定剤となることもあり、
 件数は少なくなりましたが、
 やはり、私の心のオアシスです。

 年末まで、あべまつの心に響いた展覧会をピックアップしたいと思います。

 みなさまにとって、今年一年、どんな年だったでしょうか?

 今年最後のいけばなお稽古
  ワカマツ、センリョウ、ハボタン、キンヤナギ

 

博物館に初もうで 東京国立博物館 2018

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 新年明けましておめでとうございます。
 今年も相変わらず、よろしくお願い致します。
 (もうすでに、1月も後半で、寒中お見舞いの頃となってしましましたが)

 去年のクリスマスからインフルエンザにかかり、2週間ほど撃沈しておりましたが、
 ようやく復活してきました。
 トーハクでの新年のイベントになかなかでかける事ができないのですが、
 今年は、本当に動くことができず、悲惨な年明けとなってしまいました。
 それでもなんとか、1月14日に初もうで行ってきました。






 さすが、トーハク、何年通っても見所満載で、すぐに気分爽快、ごきげんとなりました。

 博物館に初もうで
 みてきてもの、あげます。

 *国宝 釈迦金棺出現図 平安時代 京都国立博物館
  お釈迦様の入滅後にかけつけた、母、摩利支天の手を合わせた美しい姿に見惚れました。
  お釈迦様は神通力でお棺から起き上がって説法をした劇的なシーン、だそうです。



 *国宝 古今和歌集(元永本)下帖 平安時代 三井高大氏寄贈
  平安時代の仮名、あっさりと展示されていました。


 
 *黒楽茶碗 銘 かのこ斑 一入作
 *黒楽四方(よほう)茶碗 銘 祥雲 一入作
  




  楽家4代の作。あの、道入、ノンコウの子、一入の茶碗が2作展示されました。
  彼の特徴である、朱釉(しゅぐすり)をしっかり見ることができます。
  その隣には、長次郎のムキ栗の形をみるような黒楽茶碗がもう一つ。
  一入の茶碗は本館1階の陶磁器のコーナーでよく見るのですが、
  茶の美術展示室でみると、ぐっとグレードアップして見えるのが不思議です。
  釉薬で漆工をみるようです。
  
 *古染付一閑人火入 明 景徳鎮窯 17世紀
 *南京赤絵周茂叔愛蓮図火入 明 景徳鎮窯
 *褐釉瓢形火入 高取 江戸17世紀





  楽しい火入三種が並びました。
  一閑人のとほほな表情にこちらの頬が緩みます。
  なんでも、姿が良いものには愛情を注げます。
  南京赤絵の火入に周茂叔愛蓮図とあるのは、
  菊といえば、陶淵明、蓮といえば、この周茂叔という中国の碩学の人
  といわれていること、蓮といえば、周茂叔という絵柄のようです。
  またひとつ、なるほどを頂戴したのでした。(記憶できるかは別問題として) 

 *犬 張子 江戸19世紀



  ひな祭りの展示に良く共に展示されるこの張子犬さん、
  今年は戌年につき、こちらへおでまし。
  可愛い姿、安産のおまもり。

 *松梅孤鶴図 若冲 江戸18世紀





  若冲人気は安定期を迎えたのか、と思うほど、人気の絵師として
  認知されてきたのだと思います。
  鶴の姿それ自体が若冲です。珍しく、単体の鶴でした。
  それでも梅の枝がもう一羽の鶴を偲ばせているような工夫があって
  楽しい作品でした。

 *縄暖簾図屏風 江戸17世紀





  この屏風のミステリアスな雰囲気がステキです。
  遊女の先に白黒のぶちワンコがいて、こっちきて〜といってる様子が愛らしいのです。
  
 1階に降りて、仏像コーナーのお不動様に気合いを入れて頂き、
 漆工の展示室でずらり朱塗品が並んで息をのみました。
 伝・光悦作の芦舟蒔絵硯箱は裏の面も鏡を使って見せてくれました。
 久しぶりの朱塗シリーズ。
 折敷、銚子、瓶子、碗などなど。
 壮観でした。









 *黒茶碗 銘 尼寺 長次郎



 *黒茶碗 銘 末広 常慶



 初釜に使われる黒茶碗、おめでたさときりりとした清々しさを
 展示の時期とともに感じられるとステキです。
 茶道は奥深すぎますが、日本美術には欠かせないジャンル。
 遠くから憧れてます。

 *色絵月梅図茶壺 仁清 



  熱海のMOA美術館に国宝色絵藤花文茶壺が所蔵されていますが、
  そのためだけに展示コーナーを設けてその神々しさに恐れ多く思ったものです。
  トーハクは1点展示ではあっても、あまりにもラフに
  いつものように、仁清の壺が展示されました。
  どちらかというと、こちらの梅壺のほうが好きです。
  グレーになった、月も良い具合です。
  色絵付けと、作陶の美しさ、仁清は陶芸美の天才です。

 他、干支の戌年特集など、点描画像、アップします。



























 
 このかっこよすぎる鷹の図は
 柴田是真! 雪中の鷲 明治時代
 息をのむ瞬間です。あぶない、速く逃げて!




 
 そして、是真の迫真せまる絵のとなりに、
 こちらも負けずと緊張感ある鷲と猿の駆け引きです。
 鷲猴 今尾景年 明治26年 シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局
 景年は浮世絵師に学んだ後、鈴木百年に師事し、円山派の画風を学んだ絵師だそうです。
 微細な描写に容赦ないところ、凄い絵師だったのでしょう。
 

 平成館1階でも大変ステキな企画展がありました。
 改めで記事アップに努めます。
 こうして、今年もトーハクで始まったアート鑑賞ですが、
 去年の反省も含めて、もう少しじっくりと対面をしていきたいと思います。
 ぐずぐずの鑑賞記ではありますが、

 ご縁があれば、ことしも「あべまつ行脚」御贔屓、よろしくお願い致します。

 それとそれと、今年のインフルエンザの猛威侮れません。
 どうぞお気をつけて予防とご自愛をお忘れなく、
 お過ごし下さいませ。

やきもの、茶湯道具の伝来ものがたりー付属品・次第とともに観るー 東京国立博物館

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 東京国立博物館、平成館の1階、企画展示室では
 1月28日まで、
 「やきもの、茶湯道具の伝来ものがたり」
 という、麗しい企画展示が開催されていました。

 じつは、博物館に初もうで、の為に来館はしたものの、
 一番最初に張り付いてみてきたのは
 この展示室でした。

 あの、重文、青磁茶碗の「馬蝗絆」を大切に保管してきたその姿をみただけで、
 この箱に大切に仕舞われてきたのか、と感慨深いものがじわりしてきます。


 *青磁輪花碗 銘 馬蝗絆 中国・龍泉窯 南宋13世紀





 その隣には、
 その茶碗をめぐっての伝承記が公開されました。



 「馬蝗絆茶甌記」(ばこうはんさおうき) 伊藤東涯(1670〜1736)筆
  享保12年 1727年
 この記録によると、足利義政からお抱え医師吉田宗臨に下賜されたとあり、
 宗臨は安土桃山時代に土木で財をなした角倉了以の曾祖父にあたり、
 江戸時代にはこの椀が角倉家にあったことが伝わる。
 (解説文より)
 
 琳派の光悦の近くにもいた、角倉家、お家筋の凄さを垣間見たのでした。

 *唐物肩衝茶入 銘 松山(しょうざん)
  南宋〜元時代 13世紀









  かつて上総大多喜藩主松平家に伝来した唐物茶入。文政12年(1829)の江戸大火で
  被災し、大破したが、のちに漆で忠実に復元がなされた。 
  その伝来が付属する中箱に記されている。(解説文)

  茶入れの修復の強烈なエピソードがあるのは
  静嘉堂文庫美術館所蔵の「九十九髪(付喪)茄子 茶入」
  足利義満からの伝来があり、信長に献上されたのち、
  大坂夏の陣で罹災したこの茶入れを家康の命で修復した藤重藤元、藤巌父子が
  漆で見事に繕ったことで藤元の手に渡り、
  のち、藤重家に伝来したが、明治9年に岩崎弥之助に譲られた、という流転の茶入。
  茶器の物語は一筋縄ではいかないらしい、と感慨深く思うのでした。

 *竹茶杓 蒲生氏郷作 安土桃山時代16世紀



  千利休の高弟、武将茶人と知られ、茶杓削りに手腕を見せたと伝えられる。
  茶杓の櫂先に特色が有り、武人らしい気迫がうかがわれる。(解説文)
  トーハクHPでは
  まれにみる激しい気風の作で、これほど激しい個性を感じさせる茶杓も珍しい、
  と解説されていました。

 *重文 一重口水指 銘 柴庵 
  信楽 安土桃山時代 16世紀






  
  長石粒を多く含む信楽独特の粘土で単純な姿ながら、
  荘重な趣が備わり、黒褐色の流れと大きなヒビ割れが強い個性美を
  加えている。底の中央に表千家4代、江岑宗左が「柴庵(花押)」と
  黒漆で書き付けている。(解説文)

  絵図も描かれ、大切に保管すべき、責任もひたひたと感じるけれど、
  それ以上にこの柴庵への執着、愛情が勝っているようでした。


 *円城寺霰釜
  芦屋 室町時代15~16世紀 




  
  撫で肩のふっくらとした形で口造りは姥口、土筆形鐶付をつけている。
  肩に「園」「城」「寺」の文字と唐草文を薄肉に鋳出し、胴は全面に
  細かく先が丸みを帯びた霰地としている。松江藩主、松平不昧治郷の
  愛蔵品であった。(解説文)

 *砂張建水 棒先建水
  中国 明時代 15〜16世紀



  砂張とは、銅を主とし錫を含む合金のことで、亜鉛、鉛なども小量含む。
  建水には金属、陶磁、木、竹工品なあるが、砂張のものは特に人気が高く、
  珍重される。外箱には不昧筆の文字がみられる。(解説文)
  棒先とは、その形が担い棒の先につけられた金具に似ているともいわれ、
  既に室町時代から棒先は建水の代表だとして評価されていた。(HP解説)

 *瓢花生 
  江戸時代17世紀





  瓢箪を掛花入としたもので、背面には鐶が付く。その下には千宗旦の朱漆による
  書付で千利休作として知られていた「子狐」という瓢花入に似たものであったことが
  記される。箱書から仰木魯堂(おうぎろどう)から原三渓、のちに広田不弧斎松繁に
  伝わったものとわかる。不弧斎自筆の書付も添う。(解説文)

 *青磁杯 
  中国 南宋〜元時代 13〜14世紀







  黒い貫入が目を引く、いわゆる哥窯(*注)タイプの杯。
  薄作で、口縁は紙のように鋭利である。胎は黒く、一部表面が赤く染まっている。
  内箱ふた表に「富士盃」ふた裏に「伏せた形は富士山の如く、持手は宝永山」
  と不弧斎による箱書がある。
  
   *注:哥窯:中国の青磁の一種で、窯もさすが、今日では米色青磁の一種で貫入が
      荒々しく入った淡い黄白色を呈したものをいい、器形は砧青磁と相等しく、
      南宋、元の様式を示す(やきもの事典 平凡社より)

 *彫唐津茶碗 銘 巌(いわお)
  唐津 安土桃山時代 16〜17世紀






  唐津の中でも初期の作と推測される茶碗。唐津独特のX形の強い彫文が目を引く。
  広田と古くから交友があった、画家の安田靫彦の旧蔵品で内箱蓋裏に墨書で
  「彦(印)」が記される。外箱には不弧斎の箱書があり、広田自ら誂えたもの。
  (解説文)

 *志野茶碗 銘 橋姫
  安土桃山時代 16~17世紀





  美濃(岐阜県土岐市、可児市)で作られた志野のなかでも早い時期の者とみられる茶碗。
  大振りの筒形で堂々とした作風を示す。
  近代茶人で実業家でもあった、松永耳庵安左ェ門の旧蔵品。
  松永自らが箱の蓋裏に「為朝」を追銘している。(解説文)
  
 *銹絵十体和歌短冊皿 乾山「八十一歳乾山」銹絵銘
  乾山 江戸時代寛保3年(1743)




  
  長方形の形、青と紫の絵具による藍と紫の雲紙仕立てと短冊として見立てた皿。
  見込みに和歌、裏面にはその歌が和歌の様式の何に属するかを記す。
  和歌の十体と「乾山深省 八十一歳」の文字が墨書きされた共箱に
  収まり、伝わっている。(解説文)

 *色絵月に蟷螂文茶碗
  永楽保全作 江戸時代19世紀





  永楽保全は京焼の江戸後期を代表する名工。保全が得意とした色絵の
  この茶碗は、共箱の蓋裏に「仁清写 茶碗」と保全自らが記しており、
  仁清の茶碗を本歌としたものとわかる。また、蓋裏の筆からは
  爛熟した作品の多い隠居後の作であることがうかがわれる。

 *色絵桜樹図透鉢
  仁阿弥道八作 江戸時代19世紀









  江戸後期の京焼の名工、仁阿弥道八の作。鉢の内外に白泥と赤彩で満開の桜樹を
  表し、巧みに配された透かしとで、桜の空間を作り出す。底裏に銹絵で
  「道八」の銘を記し、道八の共箱、晩年に用いられた法螺貝印を押した
  包裂とともに伝わる。

 *七宝山水楼閣文香炉
  並河靖之作 大正元年(1912)





  並河靖之は明治時代に革新的な展開を遂げた日本七宝をリードした、
  近代七宝作家の代表のひとり。端正な三つ足の香炉にふさわしく
  楼閣山水の静かなたたずまいが、ぼかしを交えて、巧みに表現される。
  箱の蓋裏に大正元年に博物館へ寄贈したと自らが記す。共箱が添う。

 *飛青磁大瓶
  三代清風与平作 大正元年(1912)



  陶磁で最初に帝国技芸員となった、三代清風与平(せいふうよへい)は
  作陶の基盤を中国陶磁研究に置いた。与平が「秘色磁花瓶」と呼ぶ
  この大瓶は、中国龍泉窯の飛青磁に発想を得たもの。
  大正元年に自ら博物館へ寄贈し、箱の蓋裏に名前を記した共箱をともなう。

 展示会場内の写真画像解説を正確に書写できない点もあったとは思いますが、
 ともかく、茶器の管理の素晴らしさ、愛情もって保管し、大切に次世代へと
 バトンを渡してきたこと、茶人の業の凄味さえ、感じられる展示でした。
 ただ単純に、箱、布、紙、札、墨書、印、それらの美しさにも当然降参なのでした。
 展示作品数が19点ではあっても、大変充実感のある作品群でした。

 年初から、素敵な良いものを拝見できた喜びを胸に、
 「博物館で初もうで」会場へと移動したのでした。

本田和の語りによる 宗左近 炎える母   金沢 STUDIO L.F.I 

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 敬愛する宗左近氏の著作「炎える母」を
 本田和さんの語り、映像と音楽のコラボで語るイベントが
 旧知の金沢白山のギャラリー、ガレリア画廊オーナーのプロデュースで
 開催されるという事を聞き、
 これは現地に行かねばと心楽しみにしていました。
 
 その日は3月11日。奇しくも、という日程ではありましたが、
 イベント会場の空き状況がたまたまその日、だったとのこと。
 宗左近氏はその日が何の日か知る術もなく、遠く天空の中空から
 こちらに視線を投げかけていたのかも知れません。

 東京駅9時過ぎの北陸新幹線に乗り込むとお昼には私を無事に金沢まで運んでくれました。
 上越妙高を過ぎると、右手に海、左手は山脈、日本海側にきたのだなぁと
 しばし車窓を楽しみました。
 
 息子が既に金沢に行った経験があり、駅中のホテルが便利だと教わり
 そこに予約をしたので、簡単な荷物を置き、イベント会場へ向かいました。

 会場は金沢市内からちょっと離れていて、電車で野々市駅まで移動し、
 車内で偶然遭遇した知り合いと、地図を片手に
 歩いて会場を目指すことしました。
 さすがに、寒い風ではあったものの、なんとはなしに春近しという
 長閑さも陽光に感じられ、街中を探索しながらようやく到着。

 普段ライブスタジオという会場には、呼びかけに参集した
 方々、30名程度の席がボチボチ埋まって、地元ならではの
 親交が漂っていました。
 日頃の活動がしっかりと浸透しているという事なのでしょう。
 当日の語り、本田和さんのサイトをご紹介します。

 語りの本田和さんのサイトより
 当日の紹介動画もぜひご覧頂ければと思います。




 1945年5月25日、東京大空襲の折に宗左近氏が母と逃げながらも自分が生き残り、母の手が離れて、
 母を死なせてしまったという罪の体験が、詩作の根源に焼き付かれていることを
 まざまざと知らされる、「炎える母」
 母を失ってから、20年後に上梓した壮絶な作品です。
 
 心して聴かなければ、という思いと、
 現代でもそういった体験をした「宗左近」が世界中にいるではないか、
 という思いと、
 理不尽という悪夢をどうやって生き抜けばいいのか、
 という難題を持ち、この作品を読む度に暗澹たる思いとなるのですが、
 今回は、思いの外、フラットな気持ちで体験することができました。
 丁寧な語りのリズムに、軽やかにアニメーションがスクリーンで動き
 そこに詩と同調する音楽が情感に迫ります。
 これは新しい「炎える母」の誕生だと思いました。
 それは、人の声だけでは感じえられない、スクリーンに流れるアニメーションと
 詩に合わせた音楽の効果など、五感に拡散したことが影響したのかも知れません。
 作品を知っている人が感じた印象と、初めて触れた人の感想に
 違いが生まれたとしても、それはそれとして新しい広がりだと思えたのでした。

 そもそも追体験の重さなど、誰が等しく感じられましょう。
 作品は一つのイメージに拘ることなく、
 受け取った人の数ほど 新しい作品となって、
 その人の胸に届けば良いのではないかと、
 少し、自由な気持ちを持つ事ができました。

 発信先は宗左近氏であって、その先は君たちでいいんだよ、という声も
 聞こえてきそうです。

 ガレリア画廊のたっての希望で
 ともかくは「炎える母」を沢山の場所に届けたい、その一念が
 もっと拡散できるよう、お役に立てることができればと、思ったのでした。

 語り、の後、会場の方々との感想などの開かれた話し合いの場があったのが
 とても良かったのでした。
 それぞれの感想を伺う事ができましたし、私もそれなりの年齢となって、
 息子を持つ母となって、親の立場の感想などにも共感を持てることができました。
 
 凄惨な体験を作品にできた、詩人がいたからこそ、
 人の営みの残酷な厳しさ、その底流には無常の愛があることを
 今一度、この胸によみがえらせて、
 この世で一番崇高なことは、何なのかを確認できるきっかけとなれば。

挿絵本の楽しみ〜響き合う文字と絵の世界 静嘉堂文庫

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 今年も早、ゴールデンウィーク突入となり、
 眩しい入学式を終えて、新学期が始まり、
 学生、生徒のみなさんは初めてだらけの一月が終わり、ほっとする時、ではないでしょうか。
 手にした真新しいテキスト本のなかには必ず挿絵、画像が掲載されていて、
 ぱらぱらとめくったことも懐かしく思い出されます。

 そんな学びのスタートの時、静嘉堂文庫美術館では
 「挿絵本の楽しみ」として所蔵20万冊の中から
 挿絵として登場した中国南宋の経文に始まり、
 江戸の浮世絵までを厳選された書籍によって紹介されています。

 その会期中4月16日日曜日に
 トークショー&ブロガー内覧会が企画されたことをネットで知り、
 早速ダメ元で応募しましたら、見事当選しました。

 二子玉川界隈の桜はすでに葉桜になり、山吹などの花達が咲き始めていました。
 旧知の方とゆっくりランチをご一緒した後静嘉堂までバスを利用することとしました。
 日曜日の二子玉川の混雑ぶりにバスの到着に気をもみましたが、
 なんとかトークショーに潜り込むことができました。

 15時からのトークショーは 
 永青文庫副館長の 橋本麻里さん、
 静嘉堂文庫美術館の館長に就任された、河野元昭さん、
 静嘉堂文庫,司書の 成澤麻子さん、
 ナビゲートに 青い日記帳のTakさんこと、中村剛士さん。
 この有り難い4名の方々が展覧会のことをわかりやすくガイドしてくれました。

 橋本麻里さんは特に日本美術解説分野で時空を超えた現代言葉で
 ざっくりストレートに楽しく導いてくれる貴重な女性で、
 今は様々な媒体を通して、ファン急上昇中なのではないでしょうか。
 美術評論男性陣の重鎮の間にあって、大変有り難い存在と尊敬を捧げています。

 河野館長のお話は何回か講演会などを拝聴していますが、
 スピーディでダジャレも挟みながら、大事なことをさらりと仰るので、
 耳をダンボにしませんと、うっかりもったいないお話を取りこぼしてしまいます。
 特に琳派のご専門のお話はリアリティがあって、興味津々となります。 
 
 そして、静嘉堂文庫の司書、成澤さんは司書というお仕事が
 本当にお好きなのだと誠実なお話を伺って伝わりました。
 今回の企画に奮闘されました。
 
 そして、トークナビ担当のTakさんはすっかりアートナビのプロフェッショナルとなられ、
 「カフェのある美術館」を上梓され、もう3刷りが決まったそうです。
 ラジオ電波にも心地よい声でアートナビにますますご活躍で、
 今回のトークでも軽妙なさばきを見せてくれました。

 お話のメモを少しご紹介します。

  成澤さん ある人の挿絵から物語を考える、という話を聞いて、
       挿絵の力を再認識した。
       中国では古来「文字の国」として文字の位置づけが大変高く、
       文字は権力の印でもあったので物語があっても絵を入れることをしなかったが、
       明時代となって絵が付くようになった。
       宋時代に入って貴族に限った政治にかわり、皇帝との繫がりに官僚「科挙」が生まれた。
       その「科挙」となるには厳しい試験があり、合格をえるためには43万字におよぶ儒教を覚える必要があった。
       文字だけでは対処しきれないとの要望から解説として絵で様々な冠、動作、などを示すようになった。
       受験勉強のテキスト的存在が社会適要望として生まれた。いわゆる受験参考書、的なもの。
       今回の展示にそのテキストが出ている。

  河野館長 静嘉堂文庫には20万冊の古典籍があり、漢籍12万冊、和書8万冊を所蔵している。 
       (岩崎弥彌之助、その子小彌太親子で設立) 
       美術品展よりも関心が薄いのではと心配している。
       今、東京国立博物館で開催中の「茶の湯」展に静嘉堂の「国宝 曜変天目」が出品中。
       5月7日までの展示、その後、6月17日より静嘉堂でも展示が予定されている。
       館長みずから執筆の「饒舌館長」ブログも快調!

  橋本さん 今、サントリー美術館で「絵巻」展が開催されているが、
       本という版本の圧倒的物量に対し、一点ものの絵巻と競べるのも面白い。

  成澤さん 版本、彫り師が競うようになると、もっと技術力のある人が増え、
       もっと綺麗なものが求められ、明、清に高度なものが生まれてきた。
       受験勉強のテキストなどで絵入りに慣れてくる状況下、社会も活性化してきた。
       
  河野館長 中国挿絵が日本でジャパネライズされ、文字(主)絵(従)の関係が
       絵(主)文字(従)に変化してくる。
       そして江戸時代、浮世絵は独立する。
       展覧会の冒頭に国貞の大判錦絵を持ってきた企画を評価する。
       博物図譜、図説、など解説する絵、技術書、博物解説など
       江戸の博物図の挿絵が凄い。
       近世絵画でも若冲や北斎も博物図をみている。
       自然科学から実証主義的博物学、本草学などは
       絵がないと始まらない。
       若冲のうらにも実証主義、博物図が入っている。
       文字は辛い、富岡鉄斎は文字、賛から読めというが。
       
  Takさん 今の参考書、大変な変化を遂げていて、萌え絵が入るようになってます!

 そして、最後に4名の方のこれがいい1枚を上げてもらいました。
  成澤さん、46番 ロシア漂流記
  橋本さん、34番 岩崎灌園 本草図譜 ありえない手書きの本草図!
  河野館長 37番 渡辺崋山 芸伎図
  Takさん 44番 松浦武四郎選 天塩日誌 

 そして、質疑応答でも興味深いお話がでました。
  問 ボタニカルアートとの関連性はあるのか?
  答 シーボルトが来日して、本草学が広まる時、岩崎灌園とも逢っていた。
    植物学を学んだと考えられる。
  問 宗達と光悦の鶴下絵はどちらが主従だったのか?
  答 あの作品の前に室町に既に金銀泥に文字を載せる前史があった。
    宗達の側で光悦が筆を持っていただろうというライブ感が指摘される。
    あの歌集の中に鶴が含まれていない、という配慮が面白い。
  
 一時間のトークショーはあっという間でした。
 雑なメモでわかりにくいとは思いますが、興味深いお話を伺う事が出来、
 鑑賞の大きな手助けとなりました。 

 その日は、美術館より、会場の様子を特別に撮影の許可を得たので、ご紹介します。

 ブログにしても、画像がなければ、説得力が生まれません。
 画像でなんとか、文字にできない空気気配を伝えることができれば
 大変有り難いと切に思います!







 
















 今回のガイド本、豆本なのに、中身が充実の350円という、太っ腹価格。
 





 静嘉堂文庫のサイトの解説が丁寧です。 こちら






 静嘉堂文庫までのお散歩も楽しく、
 二子玉川駅前の賑やかな景色と離れて、ゆったりとした時間を
 過ごせる奥深い場所だと感じます。
 今回は、久しぶりの訪問となりましたが、
 そうか、静嘉堂「文庫」なのだから、書籍が充実しているわけだと
 改めて、歴代のコレクションの関わり、三菱の隆盛、などにも思いをはせて
 感じ入りました。
 
 5月28日までの会期中、さまざまなイベントが企画されているようです。
 4月29日は館長のおしゃべりトークが企画されています。
 河野館長のお話はとても楽しいので、お勧めです!

 さわやかな緑の季節、ちょっと遠出となりますが、
 楽しい本の挿絵の世界へお出かけしてみて下さい。

 同時期に川原慶賀のボタニカルアート展、
  「川原慶賀の植物図譜」展が 埼玉県近代美術館で5月21日(日曜日)まで開催中。
 こちらも併せて見ると一層深まりそうです。

花*Flower*華 ー琳派から現代へー 山種美術館

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 桜が散り、あっという間に新緑、燕子花、藤、躑躅などの花々が咲き乱れる頃となりました。
 その百花繚乱の絵画作品を集めて、山種美術館では
 [企画展]花*Flower*華 ー琳派から現代へー
 が4月22日(土曜日)から6月18日(日曜日)まで開催されています。

 山種美術館のサイト

 運良く、4月24日にその特別内覧会の機会を得ることができました。
 我が家から地下鉄一本で訪問できることができる、
 意外と通いやすい美術館で、これまでにどのくらい鑑賞してきたことでしょう。

 山種美術館ではこういった開かれた企画を数々と続けてこられて、
 特にお若い方へのアプローチに配慮されていると感じます。

 母校にもほど近く、親しい気持ちで参加してきました。

 今回は山種美術館顧問でもある、山下祐二氏の解説から始まり、
 早速快調なお話に惹きつけられました。
 ちょっと短時間でしたのが、濃厚でしたので、つめこみメモ、ご紹介します。
 展示されている作品の中から、山下先生のチョイスでショート30分余りを
 ガンガン進みました。

 山種美術館のこの企画展
 「花*Flower *華」のご案内 こちら

 山下先生の解説の乱筆メモから記録します。(乱調ご容赦)

 第一章 春ー芽吹き

 *渡辺省亭
  今年は渡辺省亭の記念すべき年、注目されている省亭(せいてい)
  3幅あるうちの「桜に雀」が展示
  日本画家で初めてパリに行った人
  その5年後に個展を開催している。

 *奧村土牛
  「醍醐」
  土牛のこの「醍醐」の素描があるが、それは大画面だった。
  本作の構図はそこから切り取られたことがわかった。

 *千住 博
  「夜桜」
  40代後半の作品で、山下先生と同じ年、1958年生まれ。
  今はニューヨークにお住まいで、帰国される度にご飯をご一緒されるとか。

 第二章 夏ー輝く生命
 
 *小林古径
  「菖蒲」
  菖蒲が生けられている壺は古径の自宅のもの。
  後から館長のお話により、伊万里のもので、現存しているそうだ。
  古陶磁コレクションをしていたとのこと。
  背景を黒くぼかしたところが奥行きを作っている。

 *福田平八郎
  「花菖蒲」
  グラフィカルにデザイン化されている。
  光琳を意識しているが、光琳よりももっとリアルな作
  
 *小林古径
  「白華小禽」
   戦前の作、泰山木を描く、線を引いたことが特徴
 
 *山口蓬春
  「梅雨晴」
  神奈川県立近代美術館(葉山館)のすぐ近く、JRの経営する山口蓬春記念館がある。
  (自宅兼アトリエで、大変自然の多い、ゆったりとした佇まいの記念室です。)
  紫陽花を描くが、洋画的な作品

 *速水御舟
  「和蘭陀菊図」
   グラフィックにシンプル化させている。
  「桔梗」
   水墨と着色、たらし込みをしている。
   御舟の「墨牡丹」に通じるもの。

 第三章 秋ー移ろう季節

 *酒井抱一
  「菊小禽図」
  亀田綾瀬(かめだりょうらい)の賛があり、この手の賛があるものが山種に2幅ある。
  (もう一つは「飛雪白鷺図」ということ、山種美術館で2013年に開催された
  「琳派から日本画へー和歌のこころ・絵のこころー」の図録から知りました。)
  他、細見美術館、ファインバーグ美術館にもある。
  12幅の12ヶ月シリーズが大変人気を博した。
  
 *木村武山
  「秋色」
  作家として地味な存在ではあるが、今でも市場流通されている。

 第四章 冬ー厳寒から再び春へ
  
 *小茂田青樹
  「水仙」
  当時、陰影を付けることが流行した。
  
 *牧 進
  「明り障子」
  牧進が飼っていた、雀、ピー太とのコラボ。
  牧進は川端龍子の弟子

 *横山大観
  「寒椿」
  大変具合の悪い絵ではあるが、そこがまた面白い。
  大観の作品にはポップ系もあり、そこに人を見る。

 *酒井抱一
  「月梅図」
  今回修復後、初披露でとても美しくなった。
  若冲の影響があったのではないか。 
  琳派と若冲という関係も研究されていくだろう。

 *「竹垣紅白梅椿図」 重要美術品
  17世紀の琳派系、光琳的構成の作品

 花のユートピア

 *鈴木其一
  「四季花鳥図」
  二曲一双、という琳派の定型的タイプ。
  屏風は六曲一双という形式が典型(屏風の作品全体のうちほとんど)
  其一の冷たい、人工的、コンピューターグラフィカルな面が
  見られる。べっとりな塗り方など、根津美術館で展示されている
  「夏秋渓流図屏風」(根津美術館)にも通じる。

 *田能村直入
  「百花」
  清朝の影響がある。

 *加山又造
  「華扇屏風」
  山種コレクションを代表するもの
  銀は経年変化することをふまえ当初から黒くさせている。
  意図的な変化をさせているようだ。
  これに対し、館長から硫黄を吹き付けている、との解説あり。

 *酒井鶯蒲(さかいおうほ)
  「紅白蓮・白藤・夕もみぢ図」三幅
  修復をしてみると裏打ちに落款を消した後が発見された。
  鶯蒲(抱一の養子)が本阿弥光甫のコピーをしたが、
  そぐわわないとして自分で消したと思われる、とのこと。
  館長からは、作品の補修や、研究も美術館の大切な役割だと紹介された。
  (この本作、光甫のものは藤田美術館に所蔵されている。
   前掲「琳派から日本画へ」の図録より)

 *山元春挙  
  「春秋草花」
  挙という字があるように、応挙系の作家
  ダイナミックな人がしっくり小さく描いた。

  魅惑の華・牡丹

 *鈴木其一
  「牡丹図」
  今回の図録に研究が寄稿されているが、
  この牡丹にそっくりな伝趙昌の作品(宮内庁三の丸尚蔵館)がある。

 *渡辺省亭
  「牡丹に蝶」
  山下先生、肝いりの作品。
  他、春草、はじめ、牡丹を描いた作品を集め
  小さい展示室は「牡丹部屋」となっている。

 ざっと荒っぽいメモですが、備忘録として記録しておきます。
 60作品ではあっても、大変奥深く、日本の画壇の大きな潮流さえも
 感じられるような作品群でした。( 括弧内はあべまつ捕捉)
 
《あべまつセレクト》

 *山元春挙 
  「春秋草花」 
   日本画としては珍しい、パステル調の優しい色あわせに
   ホットされられます。色と画面構成も琳派的。
   コオロギが葉陰にいるところあたりもキュン。

 *鈴木其一
   「四季花鳥図」
   絢爛百花図のなかにも、マットな怪しい気配あり、という
   ところが其一。朝顔図の分身もあります。


  鈴木其一「四季花鳥図」(部分)

 *小茂田青樹
   「四季草花画巻」
   草花と一緒に蓑虫、とか、くまねずみ、とかがちゃっかりいるあたり、
   それぞれの草花も愛おしい姿。
   「水仙」
   水仙の可憐で乙女の純粋を排除した陰気を映したような
   妖しい気配につい目がとまってしまいます。


  小茂田青樹「水仙」

 *酒井鶯蒲  
   「紅白蓮・白藤・夕もみぢ図」
   本阿弥光甫にリスペクトを捧げ、がっつり3幅とも模写し
   落款を消すあたり、鶯蒲の真面目さが見えます。
   光甫の隠し落款の心意気、オシャレ度にぎゅっと胸を捕まれたのだろうと思うと
   本作と照らしてみたいものです。

 *横山大観
   「寒椿」
   これが大観の作品か?と思うような抜け感のある椿の姿、
   富士山だけじゃない、存在としてメモしておきたい作品でした。
   竹と椿、案外いい雰囲気なのです。


  横山大観「寒椿」

 *渡辺省亭
   「牡丹に蝶図」
   過日、京橋の加島美術で生々しく拝見した作品ですが、 
   再会に喜びました。
   朽ちてゆく牡丹の雄しべが舞い散る様など、見ていても飽きの来ない
   惹きつける力が溢れています。

 *加山又造
   「華扇屏風」
   この屏風に加山又造さんはご自分の技量、工芸をあますことなく
   表現し、扇の花々よりも金箔、銀箔の性質を知り尽くして、
   現代の琳派継承に尽力されたのではないかと、圧倒されるのでした。

 *作者不詳「竹垣紅白梅椿図」重要美術品 17世紀
   前回、この屏風を見て、本当に驚いたのですが、
   今回もまた屏風一双から溢れる気配に圧倒されました。
   おめでたい紅白の花々が散りばめられ、竹垣は植えられている竹をそのまま曲げて組まれ、
   梅の古木と椿の木に絡まります。
   そこに何羽の鳥たちが集まっているのでしょう?
   「飛ぶ、啼く、宿る、食べる」姿を描き分けている点が特徴と
   解説にありました。
   画面構成や、配色、なんとはなしに室町が香っているところあたり、
   大のお気に入り作品となりました。


   作者不詳「竹垣紅白梅椿図」(部分)[重要美術品] 

 他、今回のフライヤーに抜擢された、田能村直入の「百花」の鮮やかさ、
 奧村土牛が描いた、小林古径七回忌の帰路に醍醐寺でみた桜、「醍醐」
 も何度見ても、深い感慨を持ちました。
 間近に、小品を室内で楽しんできたような日常感あるものもあって、
 描かれた花々に英気をもらって、清々しい気持ちとなったのでした。

 山種美術館の企画展では毎回その展示作品からインスパイアされた
 姿もうるわしい和菓子が提供されます。
 今回も愛らしい和菓子が青山の「菊屋」から生まれました。

 特別内覧会ではその和菓子試食サービスがあったので、喜んで味わってきました。
 
  チョイスは 薫風 小林古径「菖蒲」
        華の王 鈴木其一「牡丹図」

  
  手前が 花の王、薫風。
  奥にあるのは、ご一緒した、@aispy 愛さんのチョイス、
  花の香りと同じく薫風。
 
  色のトーンが協調していい感じでした。  
  
  朝つゆ 山口蓬春「梅雨晴」は好評であっという間に消えていました。残念!
  花の香り 小林古径「白華小禽」
  夏の日 鈴木其一「四季花鳥図」
  これらの姿もお味もぜひに。


 また、今回の図録
  「山種コレクション 花の絵画名品集 Flower」
 こちらも1000円で、鈴木其一《牡丹図》と中国絵画についての寄稿も掲載され、
 興味深い論考があり、充実していてお勧めです。




 *ご紹介画像は 山種美術館の許可を得て撮影したものです。
  作品は、渡辺省亭「牡丹に蝶図」以外はすべて山種美術館所蔵。

 描かれた花々の作品展覧は、日本画の潮流を感じつつ、
 思いがけず、多彩な画家たちと遭遇できる充実の展覧会でした。

 次回は「RYUSHI 川端龍子 ー超ド級の日本画」6/24(土)~8/20(日)
 関連イベント 7/8(土)川端龍子が目指したこと 講師 山下祐二氏
 こちらもぜひ参加したいと思っています。

奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝 三井記念美術館

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 日本橋の三井記念美術館では
 特別展 創建1250年記念
    奈良 西大寺展 叡尊と一門の名宝  
          が6月11日(日)まで開催されています。
  こちら

 サブタイトルに
 元興寺、浄瑠璃寺、白毫寺、法華寺、岩船寺、称名寺、極楽寺他一文寺院の名宝も一同に

 とあります。
 私が30才の頃、奈良に足かけ3年住んでいたこともあり、
 「奈良」に対する思いもひときわ親しく濃いものを持っています。
 当時は元興寺の直ぐ側に住んでいて、ご紹介された西大寺一門の
 奈良近郊の寺院は殆ど行きましたが、
 どういうわけか、西大寺には訪ねることなく戻ってきてしまいました。

 西大寺、奈良の南都七大寺の一つといわれた立派なお寺であることは知られていても
 どういった歴史があったのでしょう。

 西大寺の冊子「西大寺の文化」が丁寧な歴史を伝えています。
 (ミュージアムショップで価格500円 販売中)
 それによると、
 奈良時代、765年(天平神護元年)に称徳天皇の発願によって営まれ、
 藤原仲麻呂の反乱のようなことがないよう、念願したもの、ということのようで
 最初に天部の四天王が造られたそうです。 
 その後、12年の時を経てようやく南都七大寺、西大寺ができあがるも、
 平安期には焼失が相次ぎ、荒廃してしまうのです。
 鎌倉時代に入り真言律宗が復興運動と合致して再興を目指した時に
 叡尊が現れ、次々と再興造営の仕事を尽くしました。
 ところが、叡尊の亡き後、再び火災にあい、寺運が下がっていったようです。
 災難の続いた西大寺ではありましたが、江戸時代になって、江戸幕府からの
 支援をもらいようやく今見る西大寺の姿ができあがったようです。

 ざっと、西大寺の歴史を辿りましたが、
 会場の展示物をみて、意外にも、密教系のお寺だったことを知りました。
 また、創建当時の伽藍地図などは大変広大で、立派な姿だったことも驚きました。
 奈良市内のお寺は西大寺と関係も深く、真言律宗という繫がりがあったことを
 初めて教わったのでした。
 叡尊の弟子として活躍した、「忍性展」が去年奈良で開催されたことも御縁のようです。

 そんな復習もかねて、会場を思い出します。

 展示室 1 密教と修法具

  ずらり、密教の独古法具が並びました。
  「白銅密教法具」 
  「鈴虫」という銘があり、光明真言会で長老が導師を務める際に
  大壇上に安置される特別な法具。
  いちど、「鈴虫」の音を聞いてみたいものです。

  「藍染明王座像」(厨子入)
  コンパクトなサイズで、現代の住居にも置けそうな可愛らしいものでした。
  厨子の造りも鮮やか。
  

 展示室 2 戒律と舎利信仰

  「国宝 金銅透彫舎利容器」
   大変細密な金工が施され、蓮台とともに舎利容器が外に展示されました。
   火焔宝珠も華麗な姿でした。

 展示室 3 西大寺の瓦と塼
   
   創建当時の土、質感が残っているようでした。

 展示室 3 如庵
     
   西大寺、といえば、大茶盛式。
   赤膚焼に奈良絵ののどかな絵付けの大きなお茶碗。
   介添えの方がいないと、そりゃ、安心してお茶が頂けませんが
   一度、体験したいものです。
   お軸が墨書のゆるい山水でいい雰囲気でした。

 展示室 4 西大寺の創建から平安時代まで
    
   国宝、重文クラスがずらり
   お経、経箱、資材帳、
   国宝の十二天像、
   艶めかしい如意輪観音半跏像、それらは皆、奈良時代、平安時代のもの。
   よくぞ、この平成の時まで、護られてきたものだと感じ入ります。

      叡尊の信仰と鎌倉時代の復興
   
   西大寺中興の祖といわれる興正菩薩叡尊の長い眉と存在感のある
   立派な鼻梁に80才の姿としては大変力強く、  
   西大寺復興のため奮闘したリーダーとしての情熱、人徳の深さが伝わります。
   また、寺宝の愛染明王座像などの納入品が展示され、
   像内に魂を入れた、大切な証拠を見るようでした。 
   元興寺からは、聖徳太子2才の凛々しい像。
   川端康成も、聖徳太子の幼い像を所蔵していたことを思い出しました。
   
 
 展示室 5 戒律と舎利信仰

   こちらでは寺宝のお像に入れられていた、舎利などがずらり展示されていて、
   小さな水晶の五輪塔群にときめきました。
   舎利容器、舎利厨子、それらに大切に守られ、信仰を捧げてきたのでしょう。
   舎利塔にかけられた、紐も美しいのでした。

 展示室 6 西大寺の伽藍配置図

   当初の広大な伽藍の様子などを知ることができました。

 展示室 7 真言律宗一山の名宝

   西大寺と並ぶ真言律宗のお寺より、名宝が展示されていました。
   奈良市内の地図に関連寺院が建ち並んでいることも記されています。
   
   五色椿で有名な白毫寺からは空恐ろしい強面が。
   「太山王座像」康円作
   ごめんなさいを強要されなくとも言ってしまいそうな眼力にひれ伏します。

    *6月6日〜11日まで、浄瑠璃寺の吉祥天がお目見えです。
     ご開帳の期間限定でなかなか目にかかれませんが、
     日本橋で、拝観できるチャンス到来です!



      忍性と東国の真言律宗

    叡尊の弟子として著名な忍性さん、去年、奈良で展覧がありましたが、
    こちらにもおでまし。
    なかなか厳しい方のようで、日蓮さんとぶつかり合いをし、
    鎌倉幕府に処刑を申し出たとのこと。
    東国、鎌倉にも真言律宗を拡大した功労があるようです。
    
    「釈迦如来立像」神奈川 称名寺
    衣紋の襞が特徴的で、清涼寺式だとわかります。
    清涼寺式の釈迦像は真言律宗によって全国に広められたのだそうです。

 こうして一巡して作品リストを確認して見ると
 どれもコレも国宝や、重文クラスの名宝ばかり。
 西大寺、大変なお寺だと思い知ります。

 いつか、また奈良を訪問し、西大寺を訪ねたいと思いました。
 また、保存、補修に潤沢な寄進があることを願いました。
 
 次回は夏のイベントらしい、「地獄絵ワンダーランド」
 7月15日〜9月3日まで。 こちらも楽しみです!

2017年半年の振り返り

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 (神奈川県立近代美術館葉山から)

 いやはや、ブログ放置もここまでくると
 もはや、更新をやめているのかと思われても致し方ない状況です。

 とはいえ、今年のイベント目白押しと、
 パソコン前で落ち着いてカタカタすることもなかなか確保できず、
 反省ばかりです。

 というここで、今年、2017年の半年のふりかえり、
 ザッとですがしたいと思います。

 1月  宇宙と芸術展 森美術館
   
    小田野直武と秋田南画展 サントリー美術館

    日本の芸能展 三井記念美術館

    白洲正子展 銀座松屋

    岩佐又兵衛展 出光美術館

    青木美歌展 ポーラミュージアムアネックス

    春日大社展 東京国立博物館

    
 2月 古唐津 出光美術館
    
    草月いけばな展 創流90周年記念第10回草月会北支部 出品
    北千住マルイ シアター1010 11階ギャラリー

    入江泰𠮷作品展 フジフイルムスクエア
   
    endless 山田正亮の絵画 東京国立近代美術館

    瑛九 闇の中で「レアル」をさがす 東京国立近代美術館ギャラリー4
   
    新宿通り いま・むかし 中村屋サロン美術館

    茶道具取り合わせ展 五島美術館
    
 3月 2017 いけばな協会展 出品
    新宿高島屋

    茶碗の中の宇宙 東京国立近代美術館

    マルセル・ブロイヤーの家具 東京国立近代美術館ギャラリー4

    加山又造展〜生命の煌めき 日本橋高島屋

    アートフェア東京 2017 国際フォーラム

    並河靖之七宝展 東京都庭園美術館

    松岡コレクション美しい人々 松岡美術館

    サントリー美術館新収蔵品
    コレクターの眼 ヨーロッパの陶磁と世界のガラス 
               サントリー美術館

    高麗仏画展 
    興福寺中金堂再建記念 特別展示
    再会ー興福寺の梵天・帝釈天  根津美術館


 4月 これぞ暁斎! Bunkamuraザ・ミュージアム

    茶の湯 東京国立博物館

    挿絵本の楽しみ(ブロガー内覧会参加) 静嘉堂文庫美術館

    花*flower*華 ー琳派から現代へ(内覧会参加) 山種美術館

    川原慶賀の植物図譜 埼玉県近代美術館

    
 5月 奈良西大寺展 三井記念美術館

    絵巻マニア列伝 サントリー美術館

    茶の湯 東京国立博物館 (2回、3回通う)

    雪村展 東京藝術大学大学美術館(2回通う)

    茶の湯の名品 畠山記念館

    初心 資生堂ギャラリー

    ロマン・チェシレヴィチ鏡像への狂気 ギンザ・グラフィック・ギャラリー

    茶の湯 うつわ展 出光美術館
    
 6月 砂澤ビッキ展 
    躍動する個性ー大正の新しさ  神奈川県近代美術館葉山

    神の宝 玉手箱  サントリー美術館

    ジャコメッティ展 国立新美術館

水墨の風 出光美術館

    KEIICHI TAHARA"Les Sens" ポーラミュージアムアネックス

    リアル(写実)のゆくえ 足利市美術館

    創流90周年記念 草月いけばな展
     「自然の花の中から、いけばなという別の花が咲くのだ。」
    本部合作チームに参加出品   新宿高島屋






 (国立新美術館ジャコメッティ展より)

 今年はこの他に市川市でのイベント企画運営、
 草月の北支部運営に参加、
 地元女子高華道部指導、等が重なり、かなり大変でした。

 その中、高校一年時のクラス会、奈良のお姐様達上京、北海道のオバが上京
 元職場仲間と20年ぶりの対面、
 高校の先生と高校卒業以来の対面、
 色んな方々と懐かしい対面が重なりました。

 還暦、となるとそういった邂逅の時が転がり込んでくるのでしょうか。
 
 7月となって、ようやく一段落してきたところです。
 展覧の感想などを落ち着いて上げていきたいところですが、
 どうなります事やら。
 8月は杉本文楽、鑑賞を控え、楽しみです。
 まだ、熱海、MOAには行っていないのですが、いずれ。

 こうしてみると、忙しい中、よく通ったなぁと思います。
 記事にできなかった残念さが押し寄せてきますが、
 夏以降は少し記事アップに努めたいと猛省します。

 お恥ずかしいため込み、ご容赦下さいませ。   






 (草月会館より)

夏休みコレクション展北斎「冨嶽三十六景」 MOA美術館

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 熱海、MOA美術館がリニューアルオープンされ、
 その素晴らしさを耳にし、目にし、早くこの目で確認できることを
 願っていましたが、
 ようやく、伊豆高原の両親宅から移動して、
 なんとかその時を得て行ってきました。

 伊豆方面も夏の景色とは思えない、雨模様続きで、
 梅雨へ逆走しているかのようです。
 夏休み中の家族連れなどでもっと賑わうはずでしょうに。

 それにつけても熱海駅がオシャレな建物となってびっくり。
 どこも昭和時代を引きずることは劣化、耐震不安などの現実もあって
 惜しまれつつもリニューアルしていくしかない時が来ているのかも知れません。
 美術館までのバスがすぐに出てしまうので、周りの変化をチェックする間がなかったのが
 残念です。バス停近くに足湯もできてました。

 MOA美術館の山へ向かうカーブの多い坂道をエンジン音を響かせながら
 バスが熱海駅から10分足らずで入り口まで届けてくれます。

 入り口のロッカーに荷物を預け、チケット(1600円)を求めて
 さぁ、MOAのエスカレーター7基を乗り継いで美術館入り口に向かいます。

 20代の頃、一人で初めてMOAに来たときと同じように、
 還暦となった今も、このエレベーターにこの世と隔絶されてゆく背中が不安になりながら
 頂上を目指します。



 連れだって一緒に行動する人が誰もいません。
 何処となしに薄暗いのです。気持ちも薄暗くなります。

 外はしとしと緑に英気を注いでいるようです。

 ようやく、あの、漆芸家の人間国宝室瀬和美氏とともに杉本博司氏も刷毛を持った
 片身替わりの巨大な漆の扉が待ち受けていました。
 おぉ、これがあの扉か、と出たり入ったりを楽しみました。(ひとりおばさんが怪しすぎる)






 エントランスの広々とした見晴らしに目を奪われます。











 今回の企画展示は「北斎 冨嶽三十六景」
 そのコレクションと「裏富士」とよばれる10図を加えた、46図を一挙公開。
 なかでも「凱風快晴」は摺り、状態ともに極めて優れた1枚という作品が展示されています。

 とはいえ、
 中に入って、その展示室の素晴らしさに目が奪われて
 北斎、広重に申し訳なかったと後から反省したのでした。

 メインロビーに杉本氏の写真
 柔らかな乳白色の大理石の床で、ガラス張りの向こうからは
 熱海の景色が一望できます。
 雨で遠くは見届けられませんが、それなりのしっとりとした
 靄の景色も美しいものでした。
 ベンチの椅子の支えには、三角のガラス。
 ロンドンギャラリーの椅子、バージョンです。

 さて、展示室に入ります。
 いちいちスマートになりました。
 木の扉が左右にスーっと開きます。





 展示室最初に目がとまったのは、
 「港浜風俗図屏風」江戸時代 
 なんと、ガラスなし。







 薄暗いのですが、すぐに目が慣れてきます。
 まさに杉本氏のチョイスによる古木の柱。
 框には幅のある大きな材木が存在感を放っています。





 しげしげ見ていると、係のおじさんが
 見かねてか、材木のことなど教えて下さいました。
 框は屋久杉、行者杉。途中で繋いであります。
 古材の柱は 右が海龍王寺、左に當麻寺(どちらも奈良県)
 畳は麻縁にしてあります。
 漆喰の大きな壁の下には東大寺の瓦職人の手による敷瓦が敷き詰められています。



 運良く、その案内メモを多分超特別に頂くことができました。
 (係のおじさん、感謝!!!)

 ぐるりと「北斎 冨嶽三十六景」が展示されていますが、
 その展示の台、解説札、これもまた、美しいこと。











 展示室1,3,共に漆喰の壁が真ん中に立ち、映り込み防止の役を果たしているとのこと。
 映り込み防止にこんな事しますか、そうですか。
 展示室2,こちらには、かまくらのような黒漆喰で囲んだ
 特別室があり、その中に「国宝 色絵藤花文茶壺」が神々しく輝いて鎮座している
 仰々しさ。凄いことに。










 企画展は、3室までで終了です。




















 北斎「雉図」


 北斎「粟に小禽図」


 北斎 「化粧美人図」
 軸装がまたステキ







 2階から常設展示室が始まりますが、
 次の4,5,6,室は階下、1階へ移動することになります。






 そこへの階段、階段の窓、いちいち手が込んでいます。
 木漏れ日がもれて美しい木材の格子がはめられています。



 平安時代の「阿弥陀如来両脇侍座像」がゆったりおわします。
 また、「東大寺大仏縁起絵巻」室町時代 に目がとまりました。







 その反対側には小さな仏様たち。中国随、唐の時代のもの。
 「十一面観音立像」は平安
 小作りながら、端正。






 次は5室。
 そこには桃山の絢爛が待ち受けてくれました。





 目に飛び込んできた、赤い草花の行列屏風。
 なんて赤がきれいなのかと、どっきりしました。





 「鶏頭図屏風」桃山時代。
 誰の筆によるものか解説になかったのですが、
 琳派の潮流をビシビシ感じます。
 それにしても妖しい色気のある鶏頭の群生です。
 このゆったりとした空間ですっかりこころここにあらず。
 持っていかれました。

 美濃のやきもの。
  「志野梅花四方鉢」「織部扇形蓋物」等が並びます。

 「豊臣秀吉北政所書状」



 

 展示室6には
 杉本氏の「海景 熱海」バージョン。
 また、現代の工芸家の作品。
  (カメラは現代作家作品にかぎり不可でした)






 
 最後の部屋で創立者の紹介部屋と続きます。

 以前はもっともっと展示作品があったように思いますが、
 厳選して、ゆったり展示を心がけることとなったのだと思いました。

 ラストにドアが開くと
 杉本博司氏の「月下紅白梅図」


 ここの展示もまた、美しく、千葉市立美術館で見てからの
 再会となりました。
 須田悦弘氏の梅がこぼれていやしないか、つい探してしまったり。


 

 雨に濡れるヘンリ−・ムアの「王と王妃」も相変わらずの
 睦まじい姿でしたし、その奥には
 近代工芸館前庭、または埼玉県立近代美術館の公園内において
 異形の存在感を放っている黒々とした作品の作者である、
 橋本真之氏の「揺らぐ日々の中に」という作品が展示されていて、
 王と王妃、お二人を横から守っているようでもありました。



 写真を撮ってきたので、おしげなくアップします。














 カフェのカウンターの石がまた異彩を放っています。
 営業が終了してしまっていたのが残念でしたが、
 次回は、お茶室、光琳屋敷まで足を伸ばしたいと思います。
 この石は、真鶴の小松石というもの、だそうです。
 


 まずは、リニューアルMOA美術館を確かめられたこと、
 大変喜んでいます。

 先週は杉本文楽。
 なにかと杉本博司氏の美学に導かれているようです。
 
 あんなに素晴らしい材料と、匠とスポンサーをバックに
 美学を貫けること、稀代のアーティストであることは
 致し方がないのかも、と頭を垂れるばかりです。

 美への眷属であればこそ、
 私の心は安定するのですが、まだまだ未熟を恥じ入るばかりです。 

 リフレッシュできた、小旅行のような体験でした。
 私の、プチ夏休み、かな。
 これから、秋に向けて、色々動かねばならないことが待ち受けていますので、
 エネルギーチャージ、です。

 秋には、MOA美には茶器が展示されるとのこと、これまた、そそられるじゃありませんか。
 「千宗屋キュレーション 茶の湯の美 ーコレクション選」
  10/27〜12/10 
 行かねば!!!!


 

陶匠 辻 清明の世界ー明る寂びの美 東京国立近代美術館工芸館

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 最近、陶芸、やきものに興味を示す友人から、
 「辻清明の世界」タッチ&トークに参加してみようと誘われて
 竹橋の近代美術館の常設をするっと鑑賞し、
 工芸館のタッチ&トークを初めて体験してきました。

 辻清明、この陶芸家の作品をどこかで見ています。
 もちろん、ここ、工芸館でユニークな空き缶の作品も見ていました。

 とはいえ、どんな作家で、どんな作陶をしてこられたのか、
 まったくの無知でしたが、
 この機会を得て、とても惹かれる陶芸家だったことを知り
 大変喜んでいます。

 タッチ&トークでは
 なんと、貴重な作品を直に手に持つありがたい体験が許されます。
 30分、存分になで回し、間近に息を吹きかける距離で観察できるのです。
 その後、30分、会場でピックアップされた作品の前で
 興味深いエピソードも交えた解説をして頂きます。
 約1時間の中で印象に残ったものをおぼろげな記憶ではありますが、
 メモにしておこうと思います。

 *タッチ&トーク 14時〜15時
 
  辻清明作品が3点
  他、備前茶碗2点、小ぶりの徳利1点、萩焼茶碗1碗、
  磁器の大きな壺、皿一点ずつがテーブルの上に並びました。

  辻清明作品は信楽の土を多く使用しているようです。
  陶芸に選ぶ土としては珍しい事だと思いました。
  長石というざらついた小さな石が信楽独特の表情を作り出しますが、
  辻作品の茶碗は内側を丁寧につるつるにして茶筅を守る工夫がしてありました。
  窯の中で茶碗を横に寝かす場合、貝殻を下に置いて安定させるのだそうです。
  貝の筋目が確認できました。
  他に唐津の絵付けふくろう茶碗、
  たっぷりした徳利の手触りを楽しむことができました。

  合わせて、備前焼人間国宝の金重陶陽の作、
  前田昭博(まえたあきひろ)の青瓷壺(せいじつぼ)は轆轤で練りあげたとは思えない
  端正な流線が美しい花瓶。
  大皿の表面に芥子の花を貼り付けた、青白磁の久保田厚子作品などを
  間近に触れる機会を得たのは大変貴重なことでした。
  萩茶碗の作家名は聞き損じ、残念なことをしましたが、
  井戸茶碗型のたっぷりした、茶陶らしい、茶碗でした。

  次に、会場に移動し、辻作品の前で解説をして頂きました。
  工芸館のサイトに辻清明の年譜がありますので、参考にして下さい。
  サイトはこちら

  なにしろ、幼少の頃に轆轤を手に入れ、
  9才の誕生日にあの仁清の色絵雄鳥香炉が欲しいとねだり買ったもらった、
  という信じられないエピソードに驚嘆しました。
  買ってもらえる環境だったという事にも驚きです。
  14歳の時にお姉さんと「辻陶器研究所」を立ち上げ、
  これまた板谷波山、富本謙吉のもとに行き、自作を講評してもらうなど、
  天晴れすぎる青少年期を過ごすのです。
  のちに小山富士夫氏に六古陶を学び、37歳で「明る寂び」の言葉と出会い、
  信楽の土にその道を見つけるのでした。

  順調だった作陶生活でありましたが、
  辻氏62歳の1989年に穂高にある工房を焼失してしまう惨事にみまわれ、
  コレクション、書籍など2千点余りが焼失してしまったそうです。
  どれほど落胆されたことでしょう。
  ところが、よく年には残された土で作陶するし、
  63歳の時にガラス作品を手がけたり、
  一歩も後戻りなどせずに前を向いて制作に邁進されたのでした。

  復活を遂げたときの「白樺の林」と名付けられた茶碗には思いも深く、
  大変お気に入りだったようです。
  「聚楽掛分茶盌」(茶碗の碗を使わずに「盌」を使用)


  
  師を持たず、自由でユニークな作陶をした代表に
  「信楽陶缶」がありますが、1981年からずっと制作が続きます。
  最初にその作品を買ったのが、安部公房さんだったとか。
  辻家の周りには錚々たる面々が集まってきたようです。
  陶缶は晩年亡くなる直前、2006年にも制作されています。



  
  工芸館の中で一番重要な畳の展示場所に
  巨大な合子、「信楽大合子 天心」が鎮座します。
  背景にかかる書は「壺中日月」辻清明書。
  フライヤーに登場した迫力溢れる作品です。
  書も師を持たず、自己流だったとのこと、それにしても
  悠々たる味のある書です。
  ガサガサの表現は普通の筆ではないと思い、
  お尋ねすれば、なんと縄、を使われたとのこと。
  火襷の藁を使ったのかと想像しましたが、自由人のおおらかさに
  心和みました。
  それにしても巨大な合子、球体が窯焼きに耐えかねて
  ばっくりと大胆に裂けたその裂け目が強烈な印象を与えるのです。


  
  様々作品が並ぶ中、若かりし頃の作品が余りにもきっちりとしていて
  凛々しさの白磁作品にまたしても驚かされてしまいます。
  「白磁香炉」1941年
  「白磁香合」1943年
  辻清明、14歳、16歳の作品で、実に端正で真面目に作陶しているのですが、
  これをもって板谷波山、富本憲吉のもとへ行ったという、曰わく付きの作品です。
  それに対し、板谷波山、富本憲吉両巨匠は子供扱いせずに
  きちんと講評したそうで、それもまた立派なことだったと感心します。
  それにしても大胆かつ勇気のある少年です。



  今の中学生棋士のような類い希な才能を自覚していたのでしょうか。
  以下、会場内の作品画像アップします。













  作品の展示の後半は
  辻清明コレクションです。
  これがまた、大変な古美術ぞろりで恐れ入りました。
  最初に縄文、「亀型笛」です。


  古墳時代のもの、平安期の猿投、室町の瓶子、蹲(うずくまる)
  桃山の茶陶ずらり、李朝期の白磁、青磁、などなど。


  小壺 蹲 室町時代 信楽


  斑釉貝形小杯 江戸時代 萩 (これは作品名と作品が合っているのか、未確認です)


  姥口鉄銚子・赤絵蓋 蓋 江戸時代  黄瀬戸小盃 桃山時代


  粉青沙器印花象嵌瓶 会釈 朝鮮王朝時代


  伽藍石香合 桃山時代 伊賀  木菟香合 桃山時代 信楽

  最後は辻氏と交流、同時期の作家作品。
  夫人の辻協作品も。
  夫人も陶芸作家でした。

  限られた時間でざっくりの鑑賞でしたので、
  できればもう一度丁寧に拝見したいと願いました。

  信楽の土の魅力に惹かれた、類い希な陶芸家、
  辻清明の堂々たる個展、今回の展覧でまた一人、
  大切にしたい陶芸家が増えたのでした。

  会期は11月23日まで。晩秋に再訪したいと思いました。
  チャンスがあれば、タッチ&トークお試し下さい。
  工芸館のガイドスタッフのみなさんが丁寧にガイドして下さいます。
  毎週水曜日、土曜日。

  工芸館タッチ&トークサイトはこちら。詳細チェックでお間違いなきよう。

  *今回の展覧はカメラOKの作品が多く、楽しめます。
   不可の場合がありますので、ご注意下さい。
  *辻清明氏の「辻」は点が一つのものです。パソコン漢字になかったため、
   便宜上「辻」を使用しています。

今年2017年もあとわずか

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 大変ご無沙汰いたしました。

 何がそんなに忙しかったのか、ちょっと振り返りたいと思います。

 6月のいけばな展でご一緒したグループの再結集があり、
 12月の展覧会へとスタートを切ったものの、
 経験値の低いメンバーで何ができるのかと不安を隠せませんでしたが、
 力強い大先生のご指導を全面に頂きながら、試行錯誤しながらも
 地味な作業の積み重ねをしてきました。

 数回にわたる大先生のご指導の下、ようやく12月に展覧会を
 開催することができました。

 8月にグループ名を決め、
 9月は具体的な作業開始、
 10月は草月流展があったり、
 メンバーの負傷、他のメンバー離日などなど、様々なアクシデントに
 見舞われましたが、
 12月7〜10日までの展覧会にこぎ着けることができました。

 その間、DM発送や、作業場の確保、材料の調達、などなど裏方仕事も
 沢山学ぶ事となりました。

 何かを成り遂げることの苦労は、常日頃、そのような事を裏で支えてくれる
 方々のお陰だということもしみじみと実感できたのでした。
 本当に、恵まれた体験、経験、学びでした。

 間には、いつものお稽古があったり、勉強会があったり、
 陶芸教室に出かけたり、
 女子高の華道部の文化祭があったり、
 企業の華道部のお手伝いもさせて頂きました。
 また、新たな都内での活動の運営にも携わることとなり、
 本当に、慌ただしい花活年間でした。

 他にも、市川にご縁のある方の活動にも参加し、
 こちらも何とか、前進を見つけることができました。

 還暦アニバーサリーとしては、
 かなり盛り沢山な一年で、旧友たちとの再会は大変嬉しく、
 人生の山坂をそれなりに超えてきた友たちの懐の深さに
 安堵するのでした。

 来年はもう少し足下をしっかり見つめ直し、
 丁寧な活動を目指したいと思います。

 美術館巡りも、慌ただしい中ですと、
 心に余裕がなく、見る目も落ち着かず、良いことがありません。
 
 それでも、鑑賞することは精神安定剤となることもあり、
 件数は少なくなりましたが、
 やはり、私の心のオアシスです。

 年末まで、あべまつの心に響いた展覧会をピックアップしたいと思います。

 みなさまにとって、今年一年、どんな年だったでしょうか?

 今年最後のいけばなお稽古
  ワカマツ、センリョウ、ハボタン、キンヤナギ

 

博物館に初もうで 東京国立博物館 2018

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 新年明けましておめでとうございます。
 今年も相変わらず、よろしくお願い致します。
 (もうすでに、1月も後半で、寒中お見舞いの頃となってしましましたが)

 去年のクリスマスからインフルエンザにかかり、2週間ほど撃沈しておりましたが、
 ようやく復活してきました。
 トーハクでの新年のイベントになかなかでかける事ができないのですが、
 今年は、本当に動くことができず、悲惨な年明けとなってしまいました。
 それでもなんとか、1月14日に初もうで行ってきました。






 さすが、トーハク、何年通っても見所満載で、すぐに気分爽快、ごきげんとなりました。

 博物館に初もうで
 みてきてもの、あげます。

 *国宝 釈迦金棺出現図 平安時代 京都国立博物館
  お釈迦様の入滅後にかけつけた、母、摩利支天の手を合わせた美しい姿に見惚れました。
  お釈迦様は神通力でお棺から起き上がって説法をした劇的なシーン、だそうです。



 *国宝 古今和歌集(元永本)下帖 平安時代 三井高大氏寄贈
  平安時代の仮名、あっさりと展示されていました。


 
 *黒楽茶碗 銘 かのこ斑 一入作
 *黒楽四方(よほう)茶碗 銘 祥雲 一入作
  




  楽家4代の作。あの、道入、ノンコウの子、一入の茶碗が2作展示されました。
  彼の特徴である、朱釉(しゅぐすり)をしっかり見ることができます。
  その隣には、長次郎のムキ栗の形をみるような黒楽茶碗がもう一つ。
  一入の茶碗は本館1階の陶磁器のコーナーでよく見るのですが、
  茶の美術展示室でみると、ぐっとグレードアップして見えるのが不思議です。
  釉薬で漆工をみるようです。
  
 *古染付一閑人火入 明 景徳鎮窯 17世紀
 *南京赤絵周茂叔愛蓮図火入 明 景徳鎮窯
 *褐釉瓢形火入 高取 江戸17世紀





  楽しい火入三種が並びました。
  一閑人のとほほな表情にこちらの頬が緩みます。
  なんでも、姿が良いものには愛情を注げます。
  南京赤絵の火入に周茂叔愛蓮図とあるのは、
  菊といえば、陶淵明、蓮といえば、この周茂叔という中国の碩学の人
  といわれていること、蓮といえば、周茂叔という絵柄のようです。
  またひとつ、なるほどを頂戴したのでした。(記憶できるかは別問題として) 

 *犬 張子 江戸19世紀



  ひな祭りの展示に良く共に展示されるこの張子犬さん、
  今年は戌年につき、こちらへおでまし。
  可愛い姿、安産のおまもり。

 *松梅孤鶴図 若冲 江戸18世紀





  若冲人気は安定期を迎えたのか、と思うほど、人気の絵師として
  認知されてきたのだと思います。
  鶴の姿それ自体が若冲です。珍しく、単体の鶴でした。
  それでも梅の枝がもう一羽の鶴を偲ばせているような工夫があって
  楽しい作品でした。

 *縄暖簾図屏風 江戸17世紀





  この屏風のミステリアスな雰囲気がステキです。
  遊女の先に白黒のぶちワンコがいて、こっちきて〜といってる様子が愛らしいのです。
  
 1階に降りて、仏像コーナーのお不動様に気合いを入れて頂き、
 漆工の展示室でずらり朱塗品が並んで息をのみました。
 伝・光悦作の芦舟蒔絵硯箱は裏の面も鏡を使って見せてくれました。
 久しぶりの朱塗シリーズ。
 折敷、銚子、瓶子、碗などなど。
 壮観でした。









 *黒茶碗 銘 尼寺 長次郎



 *黒茶碗 銘 末広 常慶



 初釜に使われる黒茶碗、おめでたさときりりとした清々しさを
 展示の時期とともに感じられるとステキです。
 茶道は奥深すぎますが、日本美術には欠かせないジャンル。
 遠くから憧れてます。

 *色絵月梅図茶壺 仁清 



  熱海のMOA美術館に国宝色絵藤花文茶壺が所蔵されていますが、
  そのためだけに展示コーナーを設けてその神々しさに恐れ多く思ったものです。
  トーハクは1点展示ではあっても、あまりにもラフに
  いつものように、仁清の壺が展示されました。
  どちらかというと、こちらの梅壺のほうが好きです。
  グレーになった、月も良い具合です。
  色絵付けと、作陶の美しさ、仁清は陶芸美の天才です。

 他、干支の戌年特集など、点描画像、アップします。



























 
 このかっこよすぎる鷹の図は
 柴田是真! 雪中の鷲 明治時代
 息をのむ瞬間です。あぶない、速く逃げて!




 
 そして、是真の迫真せまる絵のとなりに、
 こちらも負けずと緊張感ある鷲と猿の駆け引きです。
 鷲猴 今尾景年 明治26年 シカゴ・コロンブス世界博覧会事務局
 景年は浮世絵師に学んだ後、鈴木百年に師事し、円山派の画風を学んだ絵師だそうです。
 微細な描写に容赦ないところ、凄い絵師だったのでしょう。
 

 平成館1階でも大変ステキな企画展がありました。
 改めで記事アップに努めます。
 こうして、今年もトーハクで始まったアート鑑賞ですが、
 去年の反省も含めて、もう少しじっくりと対面をしていきたいと思います。
 ぐずぐずの鑑賞記ではありますが、

 ご縁があれば、ことしも「あべまつ行脚」御贔屓、よろしくお願い致します。

 それとそれと、今年のインフルエンザの猛威侮れません。
 どうぞお気をつけて予防とご自愛をお忘れなく、
 お過ごし下さいませ。

やきもの、茶湯道具の伝来ものがたりー付属品・次第とともに観るー 東京国立博物館

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 東京国立博物館、平成館の1階、企画展示室では
 1月28日まで、
 「やきもの、茶湯道具の伝来ものがたり」
 という、麗しい企画展示が開催されていました。

 じつは、博物館に初もうで、の為に来館はしたものの、
 一番最初に張り付いてみてきたのは
 この展示室でした。

 あの、重文、青磁茶碗の「馬蝗絆」を大切に保管してきたその姿をみただけで、
 この箱に大切に仕舞われてきたのか、と感慨深いものがじわりしてきます。


 *青磁輪花碗 銘 馬蝗絆 中国・龍泉窯 南宋13世紀





 その隣には、
 その茶碗をめぐっての伝承記が公開されました。



 「馬蝗絆茶甌記」(ばこうはんさおうき) 伊藤東涯(1670〜1736)筆
  享保12年 1727年
 この記録によると、足利義政からお抱え医師吉田宗臨に下賜されたとあり、
 宗臨は安土桃山時代に土木で財をなした角倉了以の曾祖父にあたり、
 江戸時代にはこの椀が角倉家にあったことが伝わる。
 (解説文より)
 
 琳派の光悦の近くにもいた、角倉家、お家筋の凄さを垣間見たのでした。

 *唐物肩衝茶入 銘 松山(しょうざん)
  南宋〜元時代 13世紀









  かつて上総大多喜藩主松平家に伝来した唐物茶入。文政12年(1829)の江戸大火で
  被災し、大破したが、のちに漆で忠実に復元がなされた。 
  その伝来が付属する中箱に記されている。(解説文)

  茶入れの修復の強烈なエピソードがあるのは
  静嘉堂文庫美術館所蔵の「九十九髪(付喪)茄子 茶入」
  足利義満からの伝来があり、信長に献上されたのち、
  大坂夏の陣で罹災したこの茶入れを家康の命で修復した藤重藤元、藤巌父子が
  漆で見事に繕ったことで藤元の手に渡り、
  のち、藤重家に伝来したが、明治9年に岩崎弥之助に譲られた、という流転の茶入。
  茶器の物語は一筋縄ではいかないらしい、と感慨深く思うのでした。

 *竹茶杓 蒲生氏郷作 安土桃山時代16世紀



  千利休の高弟、武将茶人と知られ、茶杓削りに手腕を見せたと伝えられる。
  茶杓の櫂先に特色が有り、武人らしい気迫がうかがわれる。(解説文)
  トーハクHPでは
  まれにみる激しい気風の作で、これほど激しい個性を感じさせる茶杓も珍しい、
  と解説されていました。

 *重文 一重口水指 銘 柴庵 
  信楽 安土桃山時代 16世紀






  
  長石粒を多く含む信楽独特の粘土で単純な姿ながら、
  荘重な趣が備わり、黒褐色の流れと大きなヒビ割れが強い個性美を
  加えている。底の中央に表千家4代、江岑宗左が「柴庵(花押)」と
  黒漆で書き付けている。(解説文)

  絵図も描かれ、大切に保管すべき、責任もひたひたと感じるけれど、
  それ以上にこの柴庵への執着、愛情が勝っているようでした。


 *円城寺霰釜
  芦屋 室町時代15~16世紀 




  
  撫で肩のふっくらとした形で口造りは姥口、土筆形鐶付をつけている。
  肩に「園」「城」「寺」の文字と唐草文を薄肉に鋳出し、胴は全面に
  細かく先が丸みを帯びた霰地としている。松江藩主、松平不昧治郷の
  愛蔵品であった。(解説文)

 *砂張建水 棒先建水
  中国 明時代 15〜16世紀



  砂張とは、銅を主とし錫を含む合金のことで、亜鉛、鉛なども小量含む。
  建水には金属、陶磁、木、竹工品なあるが、砂張のものは特に人気が高く、
  珍重される。外箱には不昧筆の文字がみられる。(解説文)
  棒先とは、その形が担い棒の先につけられた金具に似ているともいわれ、
  既に室町時代から棒先は建水の代表だとして評価されていた。(HP解説)

 *瓢花生 
  江戸時代17世紀





  瓢箪を掛花入としたもので、背面には鐶が付く。その下には千宗旦の朱漆による
  書付で千利休作として知られていた「子狐」という瓢花入に似たものであったことが
  記される。箱書から仰木魯堂(おうぎろどう)から原三渓、のちに広田不弧斎松繁に
  伝わったものとわかる。不弧斎自筆の書付も添う。(解説文)

 *青磁杯 
  中国 南宋〜元時代 13〜14世紀







  黒い貫入が目を引く、いわゆる哥窯(*注)タイプの杯。
  薄作で、口縁は紙のように鋭利である。胎は黒く、一部表面が赤く染まっている。
  内箱ふた表に「富士盃」ふた裏に「伏せた形は富士山の如く、持手は宝永山」
  と不弧斎による箱書がある。
  
   *注:哥窯:中国の青磁の一種で、窯もさすが、今日では米色青磁の一種で貫入が
      荒々しく入った淡い黄白色を呈したものをいい、器形は砧青磁と相等しく、
      南宋、元の様式を示す(やきもの事典 平凡社より)

 *彫唐津茶碗 銘 巌(いわお)
  唐津 安土桃山時代 16〜17世紀






  唐津の中でも初期の作と推測される茶碗。唐津独特のX形の強い彫文が目を引く。
  広田と古くから交友があった、画家の安田靫彦の旧蔵品で内箱蓋裏に墨書で
  「彦(印)」が記される。外箱には不弧斎の箱書があり、広田自ら誂えたもの。
  (解説文)

 *志野茶碗 銘 橋姫
  安土桃山時代 16~17世紀





  美濃(岐阜県土岐市、可児市)で作られた志野のなかでも早い時期の者とみられる茶碗。
  大振りの筒形で堂々とした作風を示す。
  近代茶人で実業家でもあった、松永耳庵安左ェ門の旧蔵品。
  松永自らが箱の蓋裏に「為朝」を追銘している。(解説文)
  
 *銹絵十体和歌短冊皿 乾山「八十一歳乾山」銹絵銘
  乾山 江戸時代寛保3年(1743)




  
  長方形の形、青と紫の絵具による藍と紫の雲紙仕立てと短冊として見立てた皿。
  見込みに和歌、裏面にはその歌が和歌の様式の何に属するかを記す。
  和歌の十体と「乾山深省 八十一歳」の文字が墨書きされた共箱に
  収まり、伝わっている。(解説文)

 *色絵月に蟷螂文茶碗
  永楽保全作 江戸時代19世紀





  永楽保全は京焼の江戸後期を代表する名工。保全が得意とした色絵の
  この茶碗は、共箱の蓋裏に「仁清写 茶碗」と保全自らが記しており、
  仁清の茶碗を本歌としたものとわかる。また、蓋裏の筆からは
  爛熟した作品の多い隠居後の作であることがうかがわれる。

 *色絵桜樹図透鉢
  仁阿弥道八作 江戸時代19世紀









  江戸後期の京焼の名工、仁阿弥道八の作。鉢の内外に白泥と赤彩で満開の桜樹を
  表し、巧みに配された透かしとで、桜の空間を作り出す。底裏に銹絵で
  「道八」の銘を記し、道八の共箱、晩年に用いられた法螺貝印を押した
  包裂とともに伝わる。

 *七宝山水楼閣文香炉
  並河靖之作 大正元年(1912)





  並河靖之は明治時代に革新的な展開を遂げた日本七宝をリードした、
  近代七宝作家の代表のひとり。端正な三つ足の香炉にふさわしく
  楼閣山水の静かなたたずまいが、ぼかしを交えて、巧みに表現される。
  箱の蓋裏に大正元年に博物館へ寄贈したと自らが記す。共箱が添う。

 *飛青磁大瓶
  三代清風与平作 大正元年(1912)



  陶磁で最初に帝国技芸員となった、三代清風与平(せいふうよへい)は
  作陶の基盤を中国陶磁研究に置いた。与平が「秘色磁花瓶」と呼ぶ
  この大瓶は、中国龍泉窯の飛青磁に発想を得たもの。
  大正元年に自ら博物館へ寄贈し、箱の蓋裏に名前を記した共箱をともなう。

 展示会場内の写真画像解説を正確に書写できない点もあったとは思いますが、
 ともかく、茶器の管理の素晴らしさ、愛情もって保管し、大切に次世代へと
 バトンを渡してきたこと、茶人の業の凄味さえ、感じられる展示でした。
 ただ単純に、箱、布、紙、札、墨書、印、それらの美しさにも当然降参なのでした。
 展示作品数が19点ではあっても、大変充実感のある作品群でした。

 年初から、素敵な良いものを拝見できた喜びを胸に、
 「博物館で初もうで」会場へと移動したのでした。

博物館でお花見を 2018年3月13日〜4月8日 東京国立博物館

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 今年の桜開花があまりにも早かったので、
 慌てていましたが、
 友人たちの誘いで千鳥ヶ淵の満開を満喫したり、
 市川市里見公園でのお花見の会を企画したり、
 花見の機会に恵まれていました。

 桜という花に様々な思いを寄せてきた人々が
 また桜の下で歓喜するのは、絢爛と儚さを知っているからなのでしょう。

 毎年、恒例となった、東京国立博物館でのお花見、ギリギリセーフで
 滑り込んできました。

 スタンプラリーも兼ねて、その年の缶バッチゲットも密かな楽しみとなりました。

 去年からスタートした、「名品スタンプラリー」も5月31日で完了し
 最終スタンプも4月1日から設置されました。
 こちらも、通い続けている内になんなくスタンプゲットしてきたので、
 なんなく、ゴール。
 思いがけないプレゼントを頂戴しました!





 気をよくしつつ、
 トーハクのお花見、ご紹介します。

 まずは、庭園から。

 すでに吉野桜は葉桜となっていましたが、
 八重桜のカンザンが満開を迎えている樹もあったり、
 お庭整備されているおじさんから
 ギョウコウザクラという桜が咲いている秘密情報を教えて頂けたので、
 ほくほく見つけてきました。
 庭園散策マップにもマークされていなくて、
 さすがのコア情報でした。
 おじさん、ありがとうございました!









 本館内は展示品による桜めぐり!

 はなやか、というテンション上げ上げが充満しているのでした。

 この日は、お彼岸雨と寒気で延期していた墓参と、
 浅草でいつもの大黒屋ランチしてきたので、スタートが遅かったのと、
 庭園にいる時間が長かったので、端折った鑑賞となってしまって残念でした。

 ともあれ、見てきたものだけ、ご紹介です。

 


















 トーハク庭園より
 お花見客がまばらな、とても静かな庭園となっていました。
 五重塔のすぐ横は
 ケンロクエンキクザクラという名前が。
 ドウダンには白い花がぶら下がっていました。
 応挙館、九条館近くではAmexのお茶会イベントが開催されていました。
 山桜もちらほら。

 平成館に寄り添うように花をつけているのは、カンザンという八重桜。
 吉野桜よりも色が濃く、ぎゅっと毬のように塊があって愛らしい姿です。
 
 そういえば、九条館近くに設置されていた、大きな燈籠、大燈籠が修理のため、
 しばらく姿を見なかったのですが、
 無事、修理を終えて元の位置に戻っていたのでした。
 この燈籠、清水六兵衛家の四代の作で、陶製だったのです!
 総重量11トンを超えるそうです!
 4/8まで、「東京国立博物館コレクションの保存と修理」で特集されていました。
 










 本館内の企画展示から
 特集「江戸後期の京焼陶工ー奥田穎川と門下生を中心に」

 奥田穎川、青木木米、欽古堂亀祐(きんこどうきすけ)、仁阿弥道八
 などの作が並びました。
 



















































 日本の仮面 能狂言面の神と鬼 ~4/22
 こちらの特集も見応え有りまして、
 「橋姫」の眉間のしわ、形相、
 「生成」の般若になる前の凄味、
  怨霊として存在した、鬼の役割にこの世の生き地獄は物語の
  重要なキャラクターとして、燦然と輝くのでした。
  美しいものの裏、として、恐怖は大事な存在なのです。
 あれこれ文字よりも画像でのご案内となりましたが、
 iPhone8のカメラがきれいな画像を残してくれたので、助かりました。

 今回は、ここまで。
 来週から、トーハクの気合いガチガチの「名作誕生ーつながる日本美術」展が
 開催されます。
 新しく、国宝重文指定の作品陳列もあります。
 心して参戦せねばと、胸踊らせております。 

歌仙と古筆 出光美術館

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 大変ご無沙汰、の更新となりました。

 花見シーズンが終わり、女子高の華道部が始動したり、
 新たな文化活動に参加することとなり、
 ボランティア活動が3本となりました。
 日々慌ただしくなってきまして、ブログ更新がすっかりおろそかに。

 学んでいるいけばなの花展もようやく一段落し、家元、諸先生たちの作品を
 拝見するシーズンも前半終了期となりました。

 その中で寸暇を狙ってアート鑑賞に出かけて行きつつも、
 気がつけば、梅雨明けの夏本番という季節に。

 春の美術展覧会では、
 熊谷守一 近代美術館
 松平不昧 三井記念、畠山記念
 名作誕生 トーハク
 木島櫻谷 泉屋博古館
 岩佐又兵衛の浄瑠璃物語絵巻 MOA美
 池田龍男 練馬区立美術館
 森山安英 北九州市立美術館
 はじめての古美術鑑賞 漆 根津美
 琳派 山種美
 などなど、素晴らしい展覧会をみてきました。
 他にも、もろもろ通っていますが、とりあえず、
 印象に残ったものをあげてみました。

 強烈だったのは、熱海のMOA美術館。
 岩佐又兵衛の「浄瑠璃物語絵巻」全巻おしげなく一挙大公開!
 あの絢爛たる華やかさとエキセントリックな物語に
 さぞ熱狂を集めたことだろうと
 全巻に渡る微細な描き込みの激しさと色の鮮やかなこと、
 煌びやかさにくらくらしたのでした。
 本当に、岩佐又兵衛という絵師の仕事に降参するしかないのでした。











 そして今回、期せずして出光美術館で又兵衛の作品に
 出会うこととなったのです。

 「歌仙と古筆」人麿影供900年



  チラシに抜擢されたのは、鈴木其一「三十六歌仙図」
 
 酒井抱一の愛弟子の其一の描き込み激しくひしめき合う、三十六歌仙図。
 どれがどの歌仙なのか、まったくわかっていませんが、
 人麿の姿だけは特徴があるので、見つけることができます。
 相変わらず描き表装の拘りように、其一を感じます。

 しおれた烏帽子、長い眉毛とあごひげ、右手に筆を、左手に巻紙を持っています。
 なんとはなしに歌の構想を練っているようなけだるそうなそぶりで
 時には脇息に腕をのせていたり。大体このようなスタイルでいることが多いようです。
 鎌倉時代に制作された、佐竹本三十六歌仙絵から、
 土佐光起、岩佐又兵衛、宗達、そして、其一まで時代をこして継承されてきた
 歌聖、歌神、ともいわれる人麿像が紹介されました。
 優れた歌を詠むことの重要さを思い知るのですが、そこを通り抜けて、
 はては歌神となって、人麿像ををまつる儀式図も展示されたのでした。

 なぜ、そこまで高みに連れて行かれたのか、知りたいところですが
 やはり、歌の力がそれ程に試され、重要視されてきたことなのだろうと
 漠然と想像します。ハイレベルな歌の力を持たねば、
 殿上人に抜擢されないという国家試験的な要素のあったのでしょうか。

 三十六歌仙で著名な佐竹本。
 その中の秀逸、3枚を出光美所蔵となっている晴れがましさが
 図録にもあらわれているのですが、
 上下2巻が1919年に鈍翁によってくじ引きで分断された佐竹本、
 その行方物語も興味津々なエピソード満載のようです。

 東博での円空展に出陳されていた人麿像や
 東照宮拝殿石の間の三十六歌仙図の扁額、なども思い出され、
 意外や人麿像を見てきた気もします。


 今回の展示には思いの外、岩佐又兵衛作が多く出品されていて、
 それがまたすばらしい屏風2作品。ほか、6点も。
 びっくりしました。

 「三六歌仙・和漢故事説話図屏風」伝 岩佐又兵衛



 図録では、見開きの掲載で屏風の全体を見渡すことができますが、
 これは実見しなければ、描き込みの熱量が伝わらないだろうと思います。
 上段に歌の色紙、その下に作者の肖像が左右に18作ずつ、その下の3分の2の空間には
 金雲立ちこめる中、団扇面の重なりが点在し、扇面のなかには
 細やかに伊勢物語、平家物語、源氏物語などの著名シーンが描き込まれるという
 手の込みよう。それでも全体のバランスが整理された構成となっているので、
 うるささが全くなく、雅で華麗、ゴージャス。
 それぞれの三十六歌仙の姿、作品を一望しながら、その源泉も感じることができるのです。
 又兵衛に発注した人物にとって、三十六歌仙というモチーフを使うことで
 時代の頂点的ステータスを手に入れたのではないかと想像しました。

 その後に展示された
 「扇面散図屏風」伝俵屋宗達 



 扇面がばらばらと散らばっていて、リズム感ある屏風スクリーンです。
 よく見れば、歌仙たちが扇面に描かれています。
 三六人全員集合ではなく、選ばれた六歌仙なのでしょうか?
 人麿はもれなく、見つけることができます。
 さすが扇屋のなせる技だ、とうなずきつつも、
 楽しめる素養、歌の教養の大事さをまたしても思い知らされるのでした。

 「三十六歌仙図屏風」伝 岩佐又兵衛



 
 先の和漢故事を描き込んだものと異なり、こちらの方は三十六歌仙、勢揃い。
 全面金箔の下地に、歌仙たちの細やかな肖像が描かれ、背後には作品の歌が配置。
 金地の屏風の上方には殿上の御簾が下がっています。
 こちらも全体の構成がキリッとしていて、計算された配列に安定感があります。
 それにしても、衣裳の柄などの丁寧な描写にはため息です。

 こうして描かれてきた三十六歌仙、柿本人麿の肖像の展示の間に
 歌を詠んだ古筆、が紹介されています。
 そのたよやかな、たおやめぶりに、しなしなしてしまいます。
 美しい文字と、美麗な料紙、に胸騒ぎの歌がしたためられ、
 それを手にした人をそわそわさせ、なびかせたことが容易に伝わります。

 西行、定家にはじまり、小野道風、紀貫之この人の文字にすなるわけにはいかなかっただろうと
 不埒なことを思いつつ、
 藤原行成、佐理、公任、などなど藤原家の名筆を
 まったく読めないレベルながらもとろけてしまうわけでした。
 
 琳派関連では、光悦、宗達、松花堂昭乗、後水尾天皇、乾山、其一作品が展示。
 「西行物語絵巻 第一巻」宗達による絵、烏丸光廣による詞書きも注目です。
 出光美術館には絵巻4巻のうち、巻1,2,4,の3巻を所蔵し、重要文化財となっている
 お宝絵巻です。
 今回は、佐藤義清が西行になっていくまでの公開場面です。
 そのなかでもやはり、歌の評価が高かった、義清の扱いに注目です。
 武勇優れ、歌にも秀で、眉目麗しい義清の運命や如何に。

 会場折り返し地点に、平安期のごつい猿投の壺が急所を締めています。
 
 国宝となった、古筆手鏡「見努世友」(みぬよのとも)の
 出陳も見所です。

 最終には
 近世歌仙絵の変奏、として、鈴木其一の新しい歌仙絵の解釈が光ります。



 こうして、会場を一巡りすることで
 柿本人麿、三十六歌仙、の描かれ方を一望することができるのでした。
 
 それにしても、東博からの出品が3点ほどあるものの、
 その他全部が出光所蔵のもの、コレクションの水準の高さに
 ひたすらの敬意を捧げます。
 殿上人の典雅な歌の世界、遙かな教養と美学、
 今はどれもが足りてないことを悲観もするのでした。

 詳しくは、出光美術館サイト、こちらをご参照下さい

 会期は意外と短く、7月22日までとなっています。
 地下鉄から地上まであがれば、すぐにエレベーターホール。
 灼熱炎天下に出なくとも入館できます。
 三井記念美、サントリー美等とも提携があるので、
 入場券が割り引かれるサービスもあり、チェックをお勧めします。
 
 次回は、江戸時代へタイムスリップ。
 「江戸名所図屏風と都市の華やぎ」7/28〜9/9
 が開催予定です。これまた、楽しみな展覧会です。  

北斎の橋 すみだの橋 すみだ北斎美術館

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 いつもアート関連企画をさくっと継続されているTakさんの
 特別内覧会企画に参加させて頂きました。
    *写真画像アップは美術館の許可を頂いています。

 今回は、すぐに行ける場所にありながら、未訪のままだった、
 「すみだ北斎美術館」
 設計は、あの妹島和世さんのクールなアルミの塊のような、どどーんとした建物に初入館です。





 展覧会は「北斎の橋 すみだの橋」というややマニアックな
 「橋」の作品を集めた企画展です。
 そういえば、お江戸には川が集中していて、浅草から出ている遊覧船クルーズは
 橋めぐりのようなものでもあり、川と海が近いことを再確認します。

 その橋を一筋縄ではいかない北斎がどう描いてきたか?
 今回のフライヤーです。





 会場は4階から

 富嶽三十六景シリーズ(天保2、3年1831〜32)を出していた北斎、
 瀧シリーズ「諸国瀧廻り」(天保4年1833)の頃
 「諸国名橋奇覧」(天保4,5年1833〜?)を制作していたのだそうです。
 さすがである、と感心するそばからやはり奇態に引っかかる習性に
 こちらもつい罠にかかって、にやついてしまうのでした。
 「諸国名橋奇覧 足利行道山くものかけはし」
 橋が主体なのか、雲なのか、どちらにもかけはし。


 確認されている11作のうち、現存していない橋が2作、あるとのこと。
 富嶽シリーズの中でも、現場に行っていないでしょう、という作があることを思えば、
 さも、なのですが、
 「かうつけ佐野ふなはいの古づ」(万葉集の佐野の舟橋を題材)
 川の流れでたわんだ橋、ってのがあるのでしょうか?謎です。



 「三河の八つ橋の古づ」(伊勢物語の八つ橋)
 ここに杜若はあるのかとよく見ると橋脚のあしもとに花はないけれど、それらしい葉の群生が。


 この2作、橋の形が尋常ではないので、是非とも入れたかった、と思われます。

 他にも実見していなかっただろう橋も何かの資料で変な橋、奇橋として
 カウントしたかったのだと執着が見て取れます。

 福井の足羽川に架かる九十九橋。
 橋の半分が木材、もう半分が石材だったという珍しい構造。奇橋として有名だったそうです。




 すほうの国きんたいはし
 岩国の錦帯橋。五連のアーチを支える石組も美しい。


 諸国にちらばる奇橋は思えば、色々な形、景観、があるものだと感嘆します。
 その変な橋集合の夢を見た北斎、とんでもないものを制作します。
 「百橋一覧」



 夢の世界ですから、当然架空の世界なのですが、山水図にところせましと
 橋が架かります。やはり、北斎の変人ぶりが噴出です。
 1作ずつ奇橋を描いているうちに全部いれてみるってのはどうだ?になったのでしょうか。
 なんでもエンターテイメント化、したくなるんですよね、北斎さん。
 その「百橋一覧」きっと面白がる人が沢山いて、実際の名橋を書き入れようと
 版元が全国有名橋図に替えてしまいます。
 「諸国名橋一覧」



 
 無理矢理感がすごいのですが、大変面白いのです。
 名所にかかる橋、いったことあるか、いってみたいとか、
 この絵図をみて、旅好き、面白い物好き、新しい物好きな人々は
 おおいに喜んで楽しんだことでしょう。

 その橋「諸国名橋奇覧」の元原稿、のような半紙本が展示されています。
 そこにも奇態な橋の形をこまごまとスケッチしてきたことがわかります。
 谿谷に縄を張り、そこに板を差し込んで橋を作りながら渡る、
 「辺鄙谷の渡」



 舟一艘が川をまたいで舟自体が橋となる、「船橋」

 貴人が渡るためだけのための橋に覆いをかぶせた「廊下橋」



 めちゃくちゃだなぁと苦笑していまします。



 他、橋関連の冊子が展示されて、興味深いものでした。

 会場を3階に移します。

 

 この美術館は墨田区に位置しているので、川、といえば
 「隅田川」なのは当然で、架かる橋もその隅田川の両国橋。
 絵師も北斎のお弟子さんたちの活躍めざましく橋関連の絵を制作していました。
 大阪方面でも北斎に憧れる絵師達も多かったそうです。
 ご近所の江戸東京博物館からの出品もあり、
 展示されていた作品にも再会しました。
 その橋の歴史と変遷が明治期の版画とともに展示されています。
 絵師達も世代交代、小林清親、井上安治、らへと受け継がれていきます。
 お相撲さんたちや、墨田の花火大会、賑々しい忠臣蔵の両国橋。
 威勢の良い土地柄なのでした。






 時代はぐっと下がり、土木建築としての橋、開通記念行事などの資料が並びます。
 時の流れと共に橋も交通の要となり開通の記念絵はがきにも気合いが入ります。
 こうして現在の姿となるまで、橋はとても重要な存在だったことに
 気づかされるのでした。
 お近くに橋、架かっていませんか?橋の数ほどものがたりも潜んでいそうです。







 我が家からも近くの墨田、浅草界隈。
 様々な橋がかかる隅田川、人の往来、物流の拠点としての橋。
 橋という切り口のユニークなとても面白い企画展覧会でした。
 会期は後もうすこし、11月4日まで。
 じつは、前期、後期と相当な入れ替えがあったとのこと、前期を拝見できず残念でした。
 
 企画展示のすぐ隣には、常設展示室が有り、
 北斎の名品が満天の夜空の下で楽しむような照明の下で楽しめます。





 リアル北斎とお栄ちゃんが部屋の中で作画中の場面もドッキリします。




 こちらは江戸博の本当にすぐ近く。これからは気軽に訪ねてみようと思いました。
 
 Twitterではハッシュタグ #北斎の橋 #Hokusai_Bridge でこの展覧会をつぶやいている 
 すみだ北斎美術館 @HokusaiMuseum アカウントの他、
 特別内覧会に参加された方がいらっしゃいますので、ぜひ、探してみて下さい。
 すみだ北斎美術館のサイトはこちら
 次回は、なんと「大江戸グルメと北斎」11/20〜1/20ですって!

 特別内覧企画をされたTakさん、すみだ北斎美術館の方々に感謝とお礼申し上げます。

信長とクアトロ・ラガッツィ 桃山の夢と幻 +杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ  MOA美術館

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 杉本博司氏のみつめる先は、いつも壮大な世界歴史の大河にあって、
 西洋と東洋の美学を手に入れ、手元のこまやかな拘りをあちこちにふりまきつつ、
 わかる人だけの愉悦、
 解釈の諧謔の先に美を見つけられるか、
 そんな高度な視点にリスペクトを捧げつつ、
 とうてい追いつけるわけもないのに振り回されつづけています。





 今回は、うつけの頂上に君臨する信長の全盛時代、日本にやってきた宣教師たちの布教奮闘の最中、
 選ばれた4人の少年たち、天正少年使節団がローマ教皇能本に派遣された行程を
 杉本博司氏がはからずも追って写真作品となったことで
 2017年ニューヨーク、ジャパンソサエティで開催されたそうで、
 その出品作品が熱海MOA美術館で初公開されました。

 杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ
  信長とクアトロ・ラガッツイ 桃山の夢と幻

 写真家としての杉本氏が2015年の春、劇場撮影のため、ヨーロッパを巡り
 オペラ劇場、テアトロ・オリンピコを訪問した際、
 偶然に天正少年遣欧使節の4人のフレスコ画に対面し、
 それから彼らの足跡を辿ることとなったと、杉本氏の言葉が掲げてありました。



 何がきっかけで心にざわざわとすることが訪れるかわかりません。
 杉本氏がたまたま撮影してきた場所が少年使節がみてきたものと被っていたことは
 展覧会フライヤー解説にあるように、スピリチュアルな出会いだったことだろうと
 想像します。そして、彼らが辿った足跡を意図的に尋ねて撮影を続け、
 今回の展覧会となったとのことです。

 会場内には、信長の手に落ちた大名物の大御所名茶器、がこともなげに鎮座して待ち受けていました。

  まずは
  「南蛮渡来図」を見ることで鑑賞者の目を安土桃山にタイムスリップさせてくれます。






  信長の肖像画に頭を垂れつつ、おおよその人相がつかめます。
  伝牧谿 「叭々鳥図」
  五島美のもの、MOAのもの2作が並びました。こんな事は滅多にないのでは?

  大友宗麟書状 天正少年伊東マンショは彼の名代となって遣欧したのでした。
  柴田勝家が信長より渡った 青井戸茶碗 銘柴田
  利休のよき理解者の1人、津田宗及の 大井戸茶碗 銘宗及 (そうぎゅう)
 
  唐物茄子茶入 付藻茄子 大名物と 
  唐物肩衝茶入 勢高 大名物 の並び! 
  そして、
  大名物の唐物茶壺 銘 松花と 銘 金花が堂々と並び壮観でした。
  信長の金花を手に入れたという「信長記」も展示されました。
  戦国の殿様たちが名器をステータスとしていた狂気のころ、
  このような茶器が信長の目を通して武士の間をありがたく動いていたのです。
  
  京都博物館からは
  瀟湘八景図の「遠浦帰帆図」伝牧谿 
 
  頂上の茶器とはこのようなものをいうのだという選び抜かれた大名物の次は
  狩野永徳の個展ブース。
  最近発見されたという
  「洛外名所遊楽図屏風」
  原三渓旧蔵品で所在不明だった「松に叭々鳥・柳に白鷺図屏風」
  可憐な「花鳥図押絵貼図屏風」
  信長の安土桃山城を手がけた永徳、働き過ぎの時、渾身の活動が彼の命を短くしてしまうのです。

  そして、日本にもたらされた当時の世界地図が現れます。
  イエズス会画派系の「世界図屏風」
  ほぼほぼ今の世界の位置が描かれ、世界の中心がローマ、であることもわかりやすく
  日本も北海道を認知されてはいなかったようだが、だいたいの形を描いていることに
  驚かされます。どうやって、陸の形を捕らえることが出来たのだろうと、ため息です。 
  「世界の舞台」
  タルタリア図、アジア図。
  これらを初めて見た信長はじめ日本の武将たちの驚愕の視線がビリビリ伝わるのです。
  日本、こんなところにあるのか、世界はこんなにも広いのか、と愕然としたことでしょう。
  








  階下に移動すると、そこから杉本博司作品が大画面モノクロで迫ってきます。



  見慣れたはずの海景シリーズ、リグリア海が天正少年達の旅先の海だと知らせてくれます。
  とはいえ、異境の地、ここはどこなのかわからないという、不安の暗澹が
  海一面に立ちこめているように見えてきました。
 















  シエナ大聖堂、フィレンツェ大聖堂、ピエタ、ミケランジェロ、
  ピサの斜塔、サンタ・マリア・デル・ジョッリョ教会、
  サン・ジョバンニ洗礼堂、
  螺旋階段Ⅱ 

  人気のない大画面のモノクロ写真が静寂と時空を目の前に突き出されてくるのは
  恐怖に近い、その建物に対する理解がないことと、その佇まいを共有する文化を
  持っていないことの違和感と、このようなもの凄い圧力のあるものを作り出した
  この地の誰かがいるということへの畏怖がどっと押し寄せてくるのでした。
  それは、かつて私が初めてローマ、フィレンツェに旅した時に感じた
  自分が日本文化の中でしか生きていないことを実感し、
  あまりにも違う文化と怖ろしいほどに大規模な大聖堂に息をのむしかなかったことと
  リンクしたのかも知れません。
  私がここに入って本当に許されるのか、異教徒でもいいのか、そもそも宗教を持たない自分の立場に戸惑いながらも、呆れるほど遠く高い
  天井を見上げた、その時がフラッシュバックされるのでした。  
  
  そして、天正少年使節団が見てきたものの資料が展示されます。
  
  フェリペ2世像、
  あぁスペインの王家の顎に特徴のある独特な顔立ち、
  彼らは本当にあの王様の宣誓式に参列してきたのでしょうか。
  聖母子像、日本にキリスト教をもたらした、ザビエル像も一段と異彩を放っています。
  そして、天正少年たちの肖像画、伊東マンショ、などの具体的な
  資料も展示されました。

  黄金の十字架は今も尚黄金色に輝いていてかつ繊細な網目のような透かしがあって、
  これが島原・天草一揆の主戦場だった原城の本丸跡に埋まっていたものとは
  思えないのでした。発見されたものとは思えないのでした。

  2016年に東京国立博物館で
  伊東マンショの肖像画が日本初公開されました。
  その時にみた彼の面差しを思い起こします。
  彼の肖像は少年使節4人をヴェネティア訪問した時に 
  ヤコポ・ティントレットに発注し、息子のドメニコ・ティントレットが完成させたとのこと。
  若きマンショの視線の先にはティントレット親子がいたのでしょうか。
  当時流行したといわれる襞襟をつけ、帽子を被ってこちらを見つめている、マンショ。
  何を感じ取っていたのでしょう。
  ぼけてしまいましたが、東博ニュースより見つけた伊東マンショ肖像です。


  
  最後の展示室には
  杉本博司氏のとらえた、フィレンツェの洗礼堂、いまは、博物館に展示されているという、
  「天国の門」01〜10 
  









  そして、この展覧は太陽の賛歌 で展示が終わります。



  会場を出る扉が開くと、杉本氏の
  「月下紅白梅図」が出迎えてくれるという、スペシャルなおまけです。



  訪問した10月27日は能舞台の公演が予定されていました。
  ぜひにも鑑賞したかったのですが、
  限られた時間で展覧会鑑賞の時間確保を優先しました。

  庭園や、お抹茶の休憩などをして館内にもどると、
  お能、「新作能 天正少年使節」の終演の人々が出てきました。
  その中に、行きの新幹線で見かけたマダムたちを発見しました。
  やはり、素敵な方々は目立ちます、さすがだと嬉しく思ったのでした。
  いずれ、私もあのような素敵マダムを目指したいものです。

  庭園の写真などあげます。




















  後日、私の初フィレンツェに行ったときの写真にこの場所が出てきて驚きました。
  私が1986年2月に訪問した時の写真を白黒に変化させた3枚です。







 なんと、彼ら、天正少年使節がローマに向かったその年から400年後のことではないですか!
 その偶然にひとり盛り上がっているところです。

 必然として、この展覧会の図録をAmazonで手に入れました。
 追っかけ、若桑みどりさんの著書
  「天正少年使節と世界帝国 クアトロ・ラガッツイ」集英社文庫
 に飛びつくのですが、
 まぁこの難しいこと、登場人物相関をメモしながら苦戦しているところです。
 それでも、この桃山時代の世界のうずまきの激しい事といったら
 いちいち仰天することだらけです。

 クラ−ナッハが描いた宗教改革のルターが撒いた火種から
 トレント宗教会議、宗教戦争勃発、大航海時代、
 貴族出身だった超エリートたちがなぜ日本に布教することとなったのか。
 茶人たちとの関わり
 利休のまわりに妻、子をはじめ、キリシタン大名が集まっていること、
 茶室、茶器に隠れる暗号。
 それにしても、13、14歳のまだ幼さが消えきらない少年たちに
 なんという宿命を負わせたことか、とことの残酷さに
 胸騒ぎが収まらないのです。

 遠藤周作の「沈黙」から、スコセッシ監督の映画「沈黙」そして、
 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界遺産登録され、
 あちこちでキリシタンの資料の展示が続けられています。

 現在も東博で「キリシタンの遺品」が12/2まで展示されています。
 板踏絵の摩滅の悲しいこと、すがる思いだったマリアの像、など、
 胸が痛くなります。

 こうして私の中で桃山時代の戦乱にあって世界の混乱とイエズス会の活動が
 ぐるぐるとうずまき続けています。
 
 この展覧は終了し、今後、長崎へ巡回するそうです。
 長崎、縁ある土地でどのような反響が得られることでしょう。
 沢山の方に鑑賞して頂きたいと願っています。

2019年 謹賀新年!

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 年末の緊張感がまるで体感できないまま、
 新年が明けてしまいました。

 2019年、平成31年といえる、期間限定の新春、
 そして、5月からどんな元号となるのでしょう。

 なんとはなしに不安定な空気感もありますが、
 本年も変わらず、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 ひとりパソコンに向かう時間がなかなか作れず、
 Twitterに こそこそとアート鑑賞などつぶやいております。
 
 よろしかったら、Twitter覗きに来てみて下さい。
 アカウントはこちら。
 @abematu

 去年のアート鑑賞、ベストテンなど、
 次の記事投稿で振り返ってみたいと思います。

 みなさまのご活躍、ご健勝とご多幸を願っています。

 今年は、どんな美と出会えるか、ワクワクしています。
 ブログ更新が間延びしすぎますが、
 懲りずにお付き合い下さると光栄に存じます。
 
   
 あべまつ




2018年アート鑑賞 あべまつベストテン

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 2018年は圧倒的に分母が少なくなった一年となりましたが、
 逃したくない、近隣の展覧会にはなんとか駆け付けることができました。

 入場者数を記録したビッグ展覧会や、美術記事とは
 レベルが違い過ぎてお恥ずかしいのですが、
 あべまつ主観のベストテン、上げてみようと思います。
 

 10 ルーベンス展ーバロックの誕生  国立西洋美術館



   あの、ルーベンスが日本にやってきた、それだけでも大事件でした。
   西美の会場のなかで首が痛くなりそうになりながら、
   大大大作の前で絶大を体感しました。
   求める頂上の違いたるや、圧倒的肉弾に降参するしかないのでした。
   平面で有りながらも3D、立体彫刻を感じるなんて、圧倒すぎました。
   西洋美の気迫せまる展示に肉体美をまざまざと仰ぎ見るまれにみる
   展覧会でした。
   それにしても、アジア人と身体が違いすぎる!
   建築物が豪奢剛健すぎる!
   壮大さに降伏でした。
   

 9 マルセル・デュシャンと日本美術  東京国立博物館


  
   そもそもなぜ東博でデュシャンなのか?という疑問はかのダ・ヴィンチだって
   堂々と開催しているのだから、問題はないのですが、
   茶の湯の利休とタグを組む、という大胆な企画に驚き、ドギマギしました。
   利休とデュシャンは時々見立ての視線に共通項を見ると聞いたことがありますが
   どんな捌きをするのだろうと楽しみに行ってきました。
   会場はここが東博かと思うほど、展示デザインがデュシャン色となって
   一気に心を掴まれました。
   デュシャンの油絵、いいです、気に入りました。
   時代の流れと戦争の波乱のなかで
   クールな美紳士が美術常識をぶちこわす、斬新な発見、
   シュールな作品発表し続け、ダダイスト、マン・レイたちと活躍し
   写真の芸術性とナンセンスオブジェなど都会的知的オシャレジャンルを
   まざまざと見せつけられたのでした。
   美紳士は何をしてもカッコイイのだから、仕方がないと諦めもするのでした。
   それにしても後段の利休ゾーン、日本の美術への繫がりには唐突感が否めなかったのは
   残念でした。便器と竹の花器キャラクター効果はあったのでしょうか?
   デュシャンと利休のお眼鏡にかなう鑑賞力が問われたのか、貴方次第、なのでしょうか。
   尿瓶の花生け、あたり、突っ込んで欲しかったものです。
   その悶々はさておき、このユニークな企画とデュシャン漬けに高ポイントとしました。
    

 8 藤田嗣治展  東京都美術館



   都美での展覧会開催前に目黒区美で「藤田嗣治 本のしごと」展が
   4/14~6/10まで開催され、大変丁寧な展示に藤田嗣治という人の
   細やかな視線を感じました。
   その流れで、本展、という格付けのような没後50年記念の大展覧会。
   2006年、近代美術館で生誕120年記念として、18年ぶりに藤田嗣治展を開催されたことが
   とても印象深かったことを改めて思い出します。
   藤田の美しく繊細な作品からはうかがい知れない
   戦争が落とした大きな影によって、日本国籍を捨て、
   フランスに移住し仏国籍を取得するあたり、
   深い哀しみを禁じ得ません。
   とはいえ、彼の持ち前の明るさ、軽やかな筆致の挿絵や、
   手作りの様々なものをみつめると、一世一代の大作、なども
   絵を描くことで彼の人生が輝いたことに安堵もするのでした。
   今回の都美での展覧でもエネルギッシュに絵を描き続けた
   作品群から英気をもらうのでした。
   軽やかな絵を描いてもオシャレで品性があってうまいなぁと思いました。
   なんといっても線描きの人、そう確信しました。
   生まれ育った日本を心の底から愛していたことも忘れたくありません。
   久しぶりに藤田の仕事を総覧したように思いました。
   関連書籍として、
   「藤田嗣治 本のしごと」林 洋子著 集英社新書ヴィジュアル版
   林さんの丁寧な仕事に感銘しました。


 7 モネ・それからの100年 横浜美術館



   モネの作品とモネの作品に影響を受けた現代の作家作品が
   展示会場に並ぶという、珍しい企画展でした。
   画家の誰もが少なからず影響を受けていることに感銘しました。
   光を画面に表すと、それが必然的にモネに繋がっていきます。
   代表作からインスパイアされた現代の作家作品の中でも
   福田美蘭作品は飛び抜けて秀逸で、さすがだとうなってしまったのでした。
   また、横浜美術館の常設が半端なく気合いを入れてくるので、
   セットで見て回るとどっと疲労感も押し寄せてきます。
   このような企画に拍手を送りたいと思いました。
   常設にも、福田美蘭作品と遭遇できたのも、ラッキーでした。


 6 琉球 美の宝庫 展  サントリー美術館



   サントリー美の得意ジャンル、日本の美、その中でも琉球美術コレクションは
   日本屈指のものだと思いますが、今回は絵画にすばらしい作品があったこと、
   大変驚きました。
   ちょうどNHK大河ドラマ西郷どんが沖縄との深い関係を取り上げていたこととも重なり、
   沖縄の美術に注目が集まる好機となったように思います。
   中国と日本の影響を憧れともに受け入れてきた琉球の美。
   沖縄の自然と共鳴し独自の色彩文化を持っていた琉球。  
   紅型や漆器だけではなく、絵画作品をこれだけ展覧したことはありませんでした。
   花鳥図、山水図、肖像画、などなど、色鮮やかな作品群に感嘆しました。
   なかでも、佐渡山安健、絵手本を作成した孫億、の作品に目がとまりました。
   また、「貝擦奉行所」なる、王立の工芸部署があったことを初めて知りました。
   色彩豊かな漆器の螺鈿細工の微細な技術は、この貝摺奉行所の存在が
   後押ししていたとしても、その素晴らしさに目を奪われました。
   これらの琉球工芸の研究に一躍を担った鎌倉芳太郎氏の功績にも
   驚かされました。
   まだまだ琉球の美は研究が進められていくのだろうと思います。
   会場の作りも毎回工夫が見られ、
   その中にいることで自然とテンションが上がってきます。
   年末から「扇の国 日本」展が開催されています。
   この展覧会もまた実に素晴らしい企画で、
   さすが、サントリー美と唸っているところで展示替えのあと、再訪します。
     

 5 没後200年大名茶人 松平不昧展 三井記念美術館


 
   正しくは、没後200年特別展 
   大名茶人松平不昧 ーお殿さまの審美眼ー
   というタイトルで、不昧さんはお殿さまだとわかります。
   不昧公は(1751〜1818)松江藩主で藩主の仕事の他、
   文化的活動も力を注いできました。中でも美術品収集は名品揃いで仰天するのです。
   展覧会には8点の国宝、10点の重文品が展示されました。
   それだけでも大変なコレクションだったと納得できますが、
   そのコレクションを「御茶器帳(雲州蔵帳)」として
   詳細に描き残します。その資料の正確さ、確実さ、丁寧さに
   不昧公の人柄が表れています。
   牧谿の瀟湘八景図から「遠浦帰帆図」が京都国立博物館から出品された他
   東博からは梁楷の「李白」
   所蔵先が島根松江お膝元から、九州、京都、東京の国立博物館、
   出光、根津、静嘉堂、野村、湯木、MOA、
   弧篷庵、相国寺、などなど、茶道具所蔵の頂上から届きました。
   こうしたことからも、不昧公がただ者ではないことが伝わります。
   茶道具の威厳は殿様たちのハートを虜にしてきましたが、
   不昧公は茶器を制作する側の職人たちも擁護してきました。
   同時期に畠山記念館でも
   「没後200年 大名茶人 松平不昧と天下の名物
      ー「雲州蔵帳」の世界」4/7~6/17
   という企画展が開催されました。
   茶の名器を存分に拝見できる好機に合わせて、不昧公のお菓子、
   蓮羊羹を頂ける情報を得ていそいそと出かけたのでした。
   畠山記念館で頂けるお茶碗は、細川護煕殿のお茶碗の師匠
   辻村史朗さんのお茶碗でお抹茶を頂けることも嬉しいポイントです。
   茶道の超初心者のまま、袱紗もさわっていない状況であっても、
   お茶室で頂くお抹茶は一段と格別なものでした。
   三井の図録には「雲州蔵帳」が合わせて付いてきたことも、
   貴重な資料を頂けて、喜びました。
   
  
 4 信長とクワトロ・ラガッツイ 桃山の夢と幻
   杉本博司と天正少年使節が見たヨーロッパ   MOA美術館





   MOA美術館がリニューアルされてから、
   北斎と広重冨嶽三六景、岩佐又兵衛の浄瑠璃物語絵巻、千宗屋氏監修の茶の湯の美
   等に通いました。美しい環境に誘われて極上空間での鑑賞は
   何度行ってもテンションが上がります。
   なかでもこの展覧は信長のいた桃山の茶道具の頂上が集合した奇跡的なものでした。
   信長をはじめ戦乱の大名たちが狂気的な茶の湯に傾倒していたころに
   ザビエルが持ち込んだキリスト教を巡って悲劇が始まります。
   布教のためにイエズス会から宣教師が来日し、苦労を重ねても
   なかなか日本文化に浸透しないことから13,14歳のうら若き少年たちが
   キリシタン大名の名代となって遣欧する事となるのです。
   杉本博司氏がたまたま写真を撮ってきた中に偶然彼らの足跡を見つけたことから、
   改めて、天正少年使節がたどった場所を撮影してきたモノクロの写真が
   展示されました。
   その場所と同じ所を過去の私も行って写真にしたことがあったのも、
   偶然の発見でした。
   日本の長崎一帯の潜伏キリシタンの世界遺産が決定したこともあって、
   あちこちでキリシタン関連の展覧が開催されていました。
   トーハクでも踏み絵、ロザリオ、聖母子像、などが展示されました。
   それらの資料には強烈な迫害があってもゆるがない信仰が滲んで、
   ひたすらの信仰というものに、ひれ伏すしかないのですが、
   それは、人間にとって、真実の救済となったのだろうかと
   遠藤周作の「沈黙」同名タイトルのスコセッシ監督の映画、を思わざるをえないのです。
   信長の茶の湯の頂上と、遣欧した少年たちの視線は重なるものではないと思うけれど
   この桃山時代の狂乱を淡々と並べた、そのシーンにぐさり、きたのでした。
   そして、若桑みどりさんの
   「天正少年使節と世界帝国 クアトロ・ラガッツイ」を読み始め
   改めて彼らの時代に狂乱と、登場人物の複雑さになかなか読み進めることができなく
   苦戦しているところです。何という時代だったことでしょう。
   2018年の記念碑的な展覧会でした。
   ブログ記事にもアップしました。
     

 3 名作誕生 つながる日本美術 東京国立博物館



   「國華」創刊130年・朝日新聞140周年の特別展として企画された
   日本美術とはどんなものかを総監できるような、超ビッグな作品群リストに
   目眩の展覧会でした。何回でも通いたくなりました。
   また、ニコニコ動画でみどころを展覧担当者による、とっておきガイドを
   視聴するとか、さまざまな展覧へのナビ、ガイドが試された展覧会でもあったように思います。  
   それにしても、圧巻でした。
   最初のコーナーでは10体の仏様たちがトーハクの空間を寺院に変え
   仏教伝来の初期奈良時代から平安時代までの流れを体感できるように展示。
   息をのむ空間でした。
   そして描かれた普賢菩薩さまたちの変化から聖徳太子絵伝へ。
   次に国宝の絵師、雪舟と中国絵画の関係をたどり、展覧会期前に発見された
   雪舟作倣夏珪山水図もタイムリーに展示。渋くカッコイイ墨絵の世界。
   四季花鳥図にはあの呂紀筆が4幅!その中に狩野元信が加わります。
   ここでクライマックスと思ったら
   なんと、次に現れるのが宗達による扇面貼交屏風。
   宗達が古典とした平治物語、西行物語が続きました。
   そして、江戸の絵師若冲の白鶴図とその源流である中国の文正、陳伯冲、探幽が
   連作かと思われるような作品が並びため息。
   満を持しての琳派大御所の光琳、乾山、の登場。
   源氏物語、伊勢物語の変遷。
   長谷川等伯の国宝、松林図屏風も出品。
   山雪、蕭白、もしっかり。
   蓮池水禽図の作例が並んだところも見所の一つでした。
   屏風群が現れると一段とテンションが上がります。
   その中に岩佐又兵衛。屏風絵から抜け出した浮世絵から
   寒山拾得の岸田劉生の麗子像、ではなく、野童女図。
   この圧倒的作品群にぐうの音も出なかったのでした。
   「國華」この値段に躊躇のない美術専門誌が創刊されて130年という
   記録もさることながら、取り上げてきた日本の美術の研究を
   いまもなお刊行されていることにひたすらの敬意を捧げるものでした。
        

 2 ムンク展 東京都美術館



   ムンク、悩ましい画家です。
   さけびくんが展覧会のナビ、キャラクターとなって大活躍です。
   そもそも、ムンクの作品と出会ったのは、遠い昔の青春期。
   どんよりと重たい空気感の中、マドンナの虚ろな眼差しと、
   お姉さんである病める子のベッドまわり、全体にどろどろとした色の混ざり。
   対象物をリアルに描く絵画とは異次元の悩ましさ、
   感情のかたまりがうごめいている、そんな強烈な印象が
   胸にへばりついたものです。
   以来、ムンクの人生がひっかかっています。
   時代がムンクを待っていた成功の仕事と、
   常に不安と、孤独につきまとわれながら、不幸な家族の死、
   報われない恋愛の数々。
   安定した家庭を持たず、持てずか、
   情熱が故に破綻していく中で、彼に絵画という表現があって
   どんなに救われただろうと余計なことを思います。
   オセロという土地柄がもたらした新しい思想、とニーチェの存在。
   すこし、大人になって、ムンクの言葉が若い時よりも
   近づけるような気がして、展覧会場に行きましたが、
   やはり、とてつもなく激情の魂の塊が押し寄せてきて
   かなわない、降参だ、そんなことを改めて思ったのでした。
   ゴッホより、ずっと激烈。
   ゴッホにはまだ癒やしや哀しみが配分されていると思ったのでした。
   ムンク自身が「自己告白」と言っている画業、
   それはこちら側として強烈な私小説を見せつけられるような、
   痛みを共有させられるような、迷惑にも近い圧を感じるのです。
   敬虔な家庭、教育熱心な家庭、宗教信仰の圧力、
   そこから解放されたいと想った人は少なからず、
   突破口を求めていたに違いないし、そんな人のためにも
   ムンクの存在は救済となったのかも知れません。
   油絵よりも、油分が抜けたリトグラフ、版画も素晴らしいのです。
   落ち込んだ時、気分を変えたい時、毒をもって制すの劇薬としても
   多いに役立つ、ムンクなのでした。
     

 1 縄文展 東京国立博物館



   やってくれました、トーハク。
   縄文の勇姿がこれだけ集まり、壮観な会場を作ってくれたことに
   ひたすら敬意と感謝を捧げたいと思います。
   日本中、こんなややこしい造形をつくり
   一万年余りの時を暮らしてきた、およそ30年の人生を繰り返してきたという
   縄文人の心の純朴さを底に、溢れんばかりの炎を巻き上げたのでした。
   縄文期の前期までの造形が、案外シンプルなのが驚きです。
   例の、あのうねうね奇態な造形は中期、晩期に炸裂するのです。
   会場は1万年期を時代に渡って陳列されました。
   そのどれをとっても宇宙サイズのパワーに満ちていて、
   平成最後の夏に縄文の夢を届けてくれた、それだけで感激したのでした。
   なかでも「赤彩鉢形土器」これには本当に虚を突かれました。
   楽茶碗の原型じゃないですか!それも、赤色顔料!
   縄文ポシェットもよくぞこの形をとどめていたことと、驚嘆しました。
   松戸から出土した縄文土器の一群、関山式土器、細やかな装飾端正です。
   おなじみ、新潟十日町の火炎土器一群、ひたすらカッコイイです。
   一番驚かされたのは、群馬渋川の焼町土器の一群
   大迫力、たまげました。
   そして、土偶のスターたち。
   縄文のビーナス、女神、合掌、中空、ハート、遮光器土偶たちの
   宇宙感あふれる飛び抜けぶり。
   他、愛らしくも親しみのある動物たち。
   それらの美を発見した人物として、岡本太郎が代表的ですが、
   民藝活動で知られた、柳宗悦も岩偶に感嘆しています。
   その門下、芹沢銈介、濱田庄司、島岡達三、も縄文に注目しています。
   他の芸術家はどう感じていたのでしょうか。
   私的な事ですが、私の恩師、宗左近氏の縄文への熱情を目の当たりにしてきました。
   宗左近氏も岡本太郎の「みずゑ」の縄文の寄稿文で衝撃を得て、
   それ以来大変な愛情と執着を注ぎ、蒐集し、沢山の詩作を発表しました。
   そんなこともあって、縄文と聞くだけで、ピクッと反応してしまいます。
   トーハクも気合い満載で、サイトでも色々楽しめる工夫がされました。
   グッズも努めて買わないようにしていますが、ついつい手を伸ばしてしまいました。
   これを2018年の頂上としないで、どうするか、という展覧会でした。
   縄文展、最高でした!!

 ということで、2018年、あべまつ展覧会ベストテンをあげてみました。
 他にも秀逸な展覧会が沢山ありました。
 トーハクは不滅です。そして、上野が近くで良かったと思います。
 今年も、トーハク、西美、都美、芸大美、は当然、
 三井、出光、東京駅ギャラ、三菱、根津、畠山、サントリー美、
 山種、などは外さずに、心の赴くまま、小さな所でも、  
 あちこちと出かけてゆきたいと思います。
 ブログ記事アップがなかなか更新できないことは心苦しいのですが、
 それでも、どこかにでかけているあべまつを
 今後とも宜しくお願い致します。

 みなさんはどんな2018年でしたか?
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