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Channel: あべまつ行脚
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暑中お見舞い申し上げます。

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 大変ご無沙汰しておりました。
 暑中お見舞い申し上げます。という季節となってしまってました。

 なかなかパソコンに一人向かう時を得ること叶わず、このようなていたらくとなっております。

 とはいえ、美術館周り、行脚、は相変わらずで時を見て鑑賞に足を運んでおります。

 愚息がお陰様で社会人として新しい生活をスタートさせ、
 夫は定年退職となりながらも、いつもと変わらぬ勤務を選択し
 入ってくるものが激減致しましたが、
 なんとか、地味な生活をしていれば回っていけるような具合となりました。

 両親宅もいよいよ介護生活が本格的と成り、
 私や弟が親の顔を見に行くことも一段と増えてきそうになりました。
 85才母が86才父のパーキンソン病介護を一人で背負うことの
 厳しい現状はいつまで続けて行かれるか、
 介護のサポートもご近所のサポートもとても恵まれてはいるのですが、
 ぎりぎりのところでなんとかやりくりしてもらっているところです。

 私といえば、その様な現状下、いけばなのお稽古だけは止めず、がんばりたいと思っています。
 他、お世話になっている団体の活動など、あちこちのご縁を頂いてますが、
 それらも、お声がかかる内が華、とのこと、お世話になろうと思います。

 半年のバタバタが一旦収まりが付きそうなので、
 ぼちぼち、あげられる記事アップにも努めたいと思います。

 「令和」となった、新しい時代、そうはいっても美しいものへの探求、
 それだけは止められません。

 のんびり、お付き合い、今後とも宜しくお願い致します。

 あべまつ



唐三彩 出光美術館

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出光美術館の陶磁器の充実ぶりは群を抜いています。
 前回の「六古窯」展でもすばらしい所蔵品を披露してくれました。

 今回も、そのグレードと蒐集の幅の広さを見せつけてくれました。

 地味、ではありますが、やきものファンにとっては外せない、唐三彩、なのです。

 ちょっと前のニュースであの、若冲コレクターのプライスさんが所有されている
 若冲作品を手放す際、その先が出光美術館と知り、Twitterのタイムラインがざわめきだったことを
 思い出します。いよいよここに、若冲作品がここ、日本の皇居エリアで拝見できるのです。
 楽しみすぎます。

 さてさて、唐三彩。
 やきものに一番最初に色が付いた、その発見に当時の人々は
 そのできたものを見て、おおいに沸いただろうと思います。
 墳墓のなかの埋葬品、として、埋葬される人を安心させてくれたのでしょう。
 出光コレクションからの唐三彩は10年ぶりのお披露目だそうです。

 はじめのケースには籾倉としての「褐釉囷」この倉を支えているのが、
 熊さんたち。胴回りには、熊のほか、鹿、猿、たちが貼り付けられています。
 そのリアルな形にぎょっとしました。
 その隣でも、熊さんが三頭、5㎝くらいの身長で、しっかり支えているのでした。

 動物たちとの共生は古い時代はもっと親しく、近くで生活を共にしていたのでしょう。
 とぐろを巻く、番龍と呼ばれる龍が二頭ぐるぐる巻となった「緑釉博山炉」
 「緑釉貼花文壺」など、唐三彩前の作例が並びました。

 そして、いよいよ、唐三彩。シルクロードを移動したであろう、駱駝、馬たちの作例が
 順番待ちのように並びます。
 埋葬されたところからわらわらと発見された写真が展示されていましたが、
 数で埋葬された方、その家の力などが想像できたのでしょう。
 馬の蹄のリアルなところや、馬飾りの端正なところ、
 男性の他、女性たちもなんなく騎乗していたようです。

 お墓の中には、死後も未来永劫飲食に困らぬよう、「万年壺」が作られました。
 そのたっぷりとした形から、切なる願いが膨らみ満ちています。

 蝋抜きの工夫された斑文なども見られます。

 シルクロードの往来で物も行き来します。
 木製の俑が久しぶりに展示されました。
 他、銀、ガラス製品も交流され、その形も色々に変化していきます。

 リュトンの流れも興味深いものでした。
 青銅器の写しの形、龍の耳をもった瓶、藍色の壺、
 蓮の葉をお皿のように丸めてお椀の形にした「三彩荷葉形碗」
 陶製の枕などなど。

 特に遼三彩とペルシア三彩
 この作品群の多色付けされた鉢などはイランのもの。
 鉢の姿もすっきりと大ぶり華やかな逸品でした。
 遼三彩の作品たちはどれも洗練されていて、契丹族のセンスの良さに
 感じ入ったのでした。

 ラストには、見てきた三彩の影響を受け継いできた系譜としての作品。
 形はスマートになり、色も多色、紫色などもでてきて、
 七宝焼きのような黒ベースの瓶なども生まれてきました。
 日本でも源内焼、長与焼などに三彩の影響を見ることができるのでした。

 素朴なやきものに、色が付くとまるで今まで見たことのない
 華やかなものに変わっていきます。
 その変化をどれだけ心躍らせて作り、死後の人たちを守ってきたか、
 またその影響がシルクロードを経て日本にも大きく伝わったこと、
 ゆったりと時の流れを感じつつ、鑑賞できる優雅なひとときでした。



 出光美術館唐三彩のサイトはこちら。

 8月25日までの開催です。基本月曜日が休館日。
  7/15,8/12は開館しています。 

遊びの流儀 遊楽図の系譜  サントリー美術館

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サントリー美術館チラシより

 サントリー美術館の展覧会で、おしゃれで抜群に素敵な展示品が並ぶ度に歓喜します。
 特に、ガラス、日本美術の屏風、絵巻、という得意ジャンルには垂涎ものが居並びます。
 今回は、「遊楽図」に絞って、日本で遊ぶことに特化した絵図、絵画を紹介してくれます。
 なんて蠱惑的な企画でしょう!
 メンバーに届けられるサントリー美術館ニュースの展覧案内からも
 素晴らしさが横溢しています、わくわくです。

 毎年、6月頃にメンバーの更新時となるので、
 それもかねて、ともかくは前期に駆け付けました。
 更新特典に頂いた、カフェ券で、お隣のcafe不室屋で
 豆乳のケーキとお茶を格安で頂けきラッキーでした。

 その後、会期末となってから、どうしても松浦屏風が見たくて
 再訪してきました。ようやく目の前で松浦屏風を確認することができて、
 それだけで心満たされたのでした。

 ところで、この、年間メンバーズクラブの素晴らしさ、絶賛させて頂きます。
 サントリー美術館が赤坂見附から、六本木に移転して以来、
 毎年更新を欠かさず、メンバーとなって、サービスを活用させてもらっています。
 年会費5000円で何度でも入館できます。1人随行者がいても入館可能。
 2回誰かを伴って入館するだけで元が取れてしまいます。
 1人でも、4回程度で元取れ、です。さすがのサントリー太っ腹です。
 その上、内覧会、様々な講演会などの情報、ショップの割引などなど。
 (詳しくは、サントリー美術館サイトをチェックしてみて下さい)

 本当にクオリティの高い展覧会を堪能することが出来る、
 コスパ最高のメンバーズなので、激烈オススメ致します。
 そのお陰か、内覧会のスライドレクチャーが大人気。
 整理券確保も長蛇列で覚悟していかねばなりません。ご注意下さい。

 また、サントリー美術館、今秋11月11日から来年5月中旬頃まで《休館》となります。
 寂しい期間となりますこと、お気をつけ下さい。
 この展覧会の後、「美濃の茶陶」展終了後休館となります。

 サントリー美術館情報はこのくらいに。

 いざ、遊びの世界へ。

 貴人たちが蹴鞠をしている絵をご覧になったことがあると思います。
 その蹴鞠が調度品と化して展示されました。
 白い皮でもっと楕円形かと想像していましたが、案外真円に近く、
 球体の真ん中を蒔絵が施された蹴鞠挟にとりつけられた形での展示です。

 室町、桃山、江戸時代に渡って人々が遊ぶ姿が描かれた絵図があり、
 そこからその時代の風俗を垣間見ることができます。
 その遊楽の図を集めての今回の展覧会
 「遊びの流儀」
  作法ではなく、流儀、なのです。なんか、とても斬新でクールです。

 京都国立博物館、徳川美術館、永青文庫、滴翠美術館、大和文華館、
 根津美術館、細見美術館、千葉市美術館
 これらの名だたる美術館からも展示品が集いました。

 滴翠美術館、芦屋の銀行マン、山口吉郎兵衛氏の収集、安井武雄氏の建築。
 一度訪問したい美術館です。

 会場に並ぶ、遊楽図、邸内遊楽図の数々。壮観です。
 貝合わせ、羽子板、お香道具、琴棋書画、などが、遊び道具として紹介されます。
 また、野外へ遊山しに出かけます。
 人間は何処ででも遊ぶことができるものなのだなぁと感心します。
 今回は、煌びやかな双六や、うんすんかるたが展示されました。
 その遊び道具の美しいこと。デザインも素晴らしいのです。

 絵図の中で一心に遊ぶ人々の姿も興味深く、様々な衣裳は勿論、
 髪型も様々で、思い思いに自分を飾って、楽しんでいます。

 珍しい、南蛮人になりたかったのか、南蛮衣裳を着込んでいる人も。
 上野界隈には芝居小屋が建ち、中村かんざぶろう、看板も見えました。
 着物の着方もとても自由で、帯の幅も今のものより細く、
 襟元もゆったり、自由な着方をしています。着付け教室なんてなかったことでしょう。

 ギョッとしたユニークな風炉先屏風がありました。
 「押絵輪舞図風炉先屏風」
 一瞬、どんな絵の具で描かれたのだろうと目をこらすと、
 絵の具ではなく、布を使って、表情豊かな細かな絵となっていたのです。
 屏風の形も面白く、上下半分下に押絵が施され、半分上はなにもなく枠だけになったもので、
 その形そのものがしゃれた風炉先屏風でした。
 京都市の所蔵で江戸時代のもの。

 魅力あふれる「邸内遊楽図屏風」で遊ぶ人々を見る時に
 単眼鏡がとても役立ちます。
 時々立ち止まっては掌に単眼鏡を収めて焦点を合わせて絵の中に入り込みます。
 おもいがけなく絵の世界が目の中に迫ってきます。
 まだ使い慣れていない感はあるのですが、老眼の目にもわくわくを連れてきてくれます。
 
 なかでも、「遊楽図屏風」(相応寺屏風)徳川美術館所蔵
 これがまたもの凄い描き込み、情報の詰まったもので、
 単眼鏡で現場を追いかけてもなかなか全体にたどり着けないくらいでした。
 みんな遊びに夢中なのです。いいなぁ〜楽しそうだなぁ、
 そんな雰囲気に包まれています。

 
 サントリー美術館チラシより

 多数の展示作品の中で、
 「婦女遊楽図屏風」(通称 松浦屏風) 国宝 大和文化館所蔵
 この作品を間近に初めて拝見できたこと、息をのむかっこよさに、目を奪われました。
 登場人物18人のそれぞれの着物衣裳の素晴らしさ、細やかさ、その人の表情、
 全体の立ち位置のバランスの良さ、多彩な色使いなのに、煌びやかであっても
 品の良さが立ちこめて、
 白檀のお香を焚いているかのような芳しさが立ちこめていました。
 多様な髪型も興味深く、手にしている遊び道具、カルタや、煙管、三味線、などなども
 みていて飽きが来ません。

 ふと、今の私達、こんなに素敵に遊ぶことができているのだろうか。
 と、心配になりました。

 「あそびをせんとやうまれけむ」

 余裕のない、忙しい毎日の中で、ギスギスした心ない事件などを
 耳にすることが多くなった昨今、
 少し、肩の力を抜いて、遊ぶこと、楽しみましょうよ、と
 お誘いを頂いているような、そんな享楽の絢爛に身を落としたくもなるような、
 危ない展覧会、さすがサントリーというべき展覧会も、お盆をすぎて
 いよいよ8月18日までの開催となりました。

 ゆとりの遊びを学ばなければ、いけません。大人としても。

 次回が、またいけませんね、悪徳の香りが〜〜
 しびれるぜ、桃山
 「黄瀬戸・瀬戸黒・志野・織部ー美濃の茶陶」展

 桃山の茶陶、人心を狂わします。
 しびれるぜ、なんてもんじゃ収まるわけがなかろう、魔界へようこそです。
 いまからわくわくしています。
 この展覧会でサントリー美、休館に入るというわけです。
 全身全霊で目に、胸に刻み、心震わせたいと思います。!!



月刊「目の眼」も桃山茶陶特集です❣️

東京国立博物館本館 2019年8月4日 

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 東京国立博物館に通って何年?
 どれだけ通っても毎回発見に胸アツになる、トーハクファンです。
 昔、今、何が欲しい?という質問に
 「東博」
 と答えたことを恥ずかしく思い出しますが、今でも、本気です。

 その頃から思えば、「東京国立博物館」を「東博」と略して呼ぶようになり、
 今となっては、「トーハク」と気軽に親しげに呼び捨て気分です。

 トーハク、素晴らしすぎる魔界のスペシャルなワンダーランドです。

 年間パスポートを手に入れ、ともかく隙を狙って月に一度は尋ねたいところです。
 (最近、ちょっと間が空いてしまって、反省中)

 先日のトーハクをご紹介します。

 見学したのは、主に2階。
 時間に限りが有り、残念ながら
 「三国志」「日本のよろい」はまた次回にしました。
 東洋館では恒例「博物館でアジアの旅」が9/10〜10/14に開催されます。
 毎年のお楽しみイベントです。会期中、様々な関連イベントもあります。
 サイトチェック、重要です!
 一日中いても時間が足りなくなるラインナップです。

 とはいえ、あまり予備知識ガチでいくと、うわぁ!という驚きにブレーキがかかるので、
 なるべく予習はしないようにしていきます。

 いつものように、
 1階階段脇のエレベーターに乗り込み、2階の縄文「火焰型土器」をちらみしつつ
 古墳時代の展示品を通り抜け、国宝室に向かいます。

 この日が最終日だったことを後で知って、ラッキーでした。
 「国宝 餓鬼草紙」平安時代12世紀 (写メOKでした)
 六道のひとつ、餓鬼道の苦しみを凄惨な絵でふるえさせる効果
 絶大です。しかし、苦行の画面は悲惨であればこそ
 惹きつけられもするのでした。
 今は、畜生道、阿修羅道が展示されているようです。9/1まで。









 次に目がとまったのは、扇面図。
 
  扇面画帖 室町15~16世紀




  清水寺図扇面 伝土佐光久 室町16世紀



  源氏物語図扇面 伝土佐光元 室町16世紀



  雅な世界、お公家さんたちの典雅な佇まいを思います。


 そして、なんと、雪村、雪村が現れたのです。
 2017年に芸大美術館で雪村展が開催されたことをワクワク思い出します。
 その雪村のパワフルっぷりを想像するのに十分な作品です。
 雪村は86才まで生きた長寿パワーをお持ちだったようです。

 「蝦蟇鉄拐図」











 鉄拐が口から上に向かって、ふうっと吹き上げています。
 その先に行くのは、小さくなった自分の姿?魂といわれているところから、
 分身なのかも知れません。
 その反対側では、蝦蟇仙人が3本足の蝦蟇を操っています。
 蝦蟇は息を吹き上げて、鉄拐の分身に向かっています。
 この妖しげな雰囲気、最高です。
 
 茶の美術では、
 瀬戸唐津茶碗の素朴で素直な姿にわびさびを見るわけです。




 夏になれば涼しげな、染付の器が登場します。



 これらは広田松繁氏(不弧斎)コレクションからの展示でした。
 雪村の蝦蟇鉄拐図の残像がまだ消えきらないうちに、  中村芳中の「蝦蟇鉄拐図屏風」が現れて、ドキッとしました。  画像紹介ができなく残念ですが、 のんびりとした琳派絵師という印象からまったく想像もできないくらいの  堂々とした、大画面への挑戦にも見えました。  屏風3点の展示にはいつも心踊ります。  大画面の迫力はやはり叶うものがありません。  狩野派の天才絵師、探幽の屏風も並びました。




   「周茂叔・林和靖図屏風」  周茂叔、林和靖ともに中国の文士で周は蓮、林は梅を愛したということから  文士と花のセットとなったそうです。 他にも、陶淵明は菊、黄山谷は蘭、文士と花のセットは画題として  よく取り上げられたようです。
    池大雅「林逋帰亭図屏風」  この作品も、梅を愛し、鶴を愛したという林和靖が自宅へ帰る姿を  描いたものだとのこと。元は襖絵だったそうです。 





 池大雅 小品もありました。   「茄子糸瓜図賛」  



「高砂図賛」  


さらりと軽妙な江戸の粋を感じます。 
  尾形光琳「李広射石図」  光琳も中国の武将を描いたのでした。 



石を虎と見誤った李広が矢を射たところ、  弓の名人の矢はその石に刺さったという気迫あるシーンを  描いたそうですが、緊張があるような表情の下に  おちゃめなユーモアが潜んでいるように見えるのでした。    その後の展示にも文士っぽい気配がありました。  三国志の国、中国を意識してのことなのでしょうか。 
  久隅守景 「許由巣父図屏風」 



   許由が帝の話に耳を洗うと、巣父はその同じ水で牛に水を飲ませずに  帰った、という理想の高士の例えを絵にしました。  農村風景などのゆったりした絵が得意だった久隅守景、  硬派な画題ですが、悠然と瀧が落ちる音や、水飛沫も感じられる  巧みな屏風絵だと感じました。 
そしてそして、長いガラスケースの中に、  若冲の「玄圃瑤華」が並んでいるではないですか!  東京ステーションギャラリーのメスキータがお好きな方なら、  きっとシンパシーを感じて下さるのではないかと  余計なことを想いながら、  本当に、モノクロの植物と虫の画帖に心奪われます。  仙人の居るところ、玉のように美しい花と言う意味の  「玄圃瑤華」若冲まだ53才の若い時の作品です。  9/1までの展示です。ぜひ!  
















   浮世絵の展示は、今国立西洋美術館で開催中の松方コレクションの  連携企画として4期にわたって、トーハク所蔵の浮世絵が展示されます。   松方コレクションの浮世絵は初期浮世絵が充実しているそうです。  今見ても生き生きとした浮世絵を鑑賞できる好機です。  三期は8/25まで。四期は8/27〜9/23まで。  











    ということで、ぼうっと生きていてはいられない、東博、トーハクなのです。  また、いかねば。  画像だらけ、長々しい記事にお付き合い感謝申し上げます。  そして、  残暑お見舞い申し上げます。  

2020年、幕開け

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あべまつ行脚、放置してすぎて年があけてしまってました。2019年が色々盛り沢山すぎたので、少し回想したいところです。
久々にログインできたので、また明日、続き、やってみます。

とりあえず、ブログが残されていてホッと安堵です。




やきもの入門  出光美術館

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出光美術館出光美術館の企画でやきものジャンルの展覧会には一目散に伺いたい❣️と思ってますが、11月から自由時間をなかなか確保できず、本日ようやく行ってきました。縄文土器から板谷波山まで、やきものの歴史概論を作品を通して見渡せる仕組みに。個人的には須恵器群にやられました。猿投の灰釉が渋く垂れている姿には見惚れてしまいます。松屋で開催中の利休のかたち展で長次郎の楽茶碗が出品されてましたが、ここでは、唐物、天目茶碗から始まり、青磁、井戸、熊川、赤楽、黒楽、志野、織部、黄瀬戸、伊賀、唐津、そして色絵、近代の富本憲吉、板谷波山で締められました。珍しい茶碗、油滴天目茶碗の油滴白覆輪天目に目を引かれました。伊賀の耳付花生、宇宙人のようであまりの前衛っぷりに参ります。唐津のものはどれもが気取らないのどかな雰囲気。ホッとします。
肩の力を抜いて、ただやきものの歴史を眺める、縄文土器はやはり飛び抜けてるなぁとか、埴輪の犬は吠えない犬、バセンジー犬ぽいなぁとか、1番欲しいのは17番、須恵器の大壺❣️などと、気ままに楽しく眺めてきました。
2/2、日曜日まで。




2019年10月31日9時22分 父逝く

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自分の年齢をついつい忘れて暮らしている日々。
両親は父のリタイア後伊豆高原に家を買って
長年住み慣れていたはずの市川からあっさりと生活圏も移動させてしまった。
なぜ伊豆高原なのか?リタイア近くに老後生活を夢見て別荘地で
悠々自適を手に入れたつもりだったのかもしれない。
市川が嫌だったのか?単に夢の生活に憧れていただけなのか?
今となっては聞く相手、父がいない。

数年前に父の身体にパーキンソン病が住み着いた。
以来、少しずつ、ちょっとずつ老化というのか、病も進行していった。
それでも薬効あって80を過ぎても車の運転はするし、
日常生活に支障が出るほどのことはなかった。
母と2人、老夫婦仲良くガタついた体のケアの為に病院通いをしながら、
周りの親切な方々に手を差し伸べてもらい、
なんとかやっててもらって都内住民の私はとても助かっていた。
そんな矢先のことだった。
突然、具合が悪くなり、救急車に乗って入院したと母から私の枕元の携帯に連絡が入る。
明け方の4時半ごろ。ただ事ではないと悟った。
柏の弟は車で、水戸に仕事入りしている息子も電車乗り継いで直接父の入院先に向かうという。

家族が集合して、意識はあるものの、呼吸器をつけてベッドに横たわる父の姿からは
もうまもなく命が途切れることが伝わってきた。
でも、それは仕方のないことで、語らずとも家族はそれを悟って意識して楽しい思い出話を続けた。
病床のもうすぐ息絶える父とかわりばんこに写メ。
こんな不謹慎な家族いないだろうな、と想いながらも、
父がさっぱり諦めてわずかな時間を心穏やかにしてくれていたら、それで良いと思った。
担当の救急医から、ご家族全員が延命を断るということはとても珍しい事です、と教わる。

翌日の朝、懸命の救急治療に助けられたものの、時がきた。
電子機器の画面が止まっている。

かねてより葬儀はここでと当たりをつけていたところに弟が話をつけてくれていたので、
とてもスムーズに病院を後にして父の遺体が運ばれていった。
担当医の先生がとても親切で、最後まで心を掛けてくれた、ありがたかった。
命がなくなると、そのひとの存在呼称が物的な三人称的に聞こえてくるのが不思議だ。

葬儀まで数日待つこととなった。

それぞれの自宅に戻り、様々準備をして当日を迎えた。
一番コンパクトに、家族葬とした。
禅宗のお坊さんと、尼さんが読経し無事に天界へ旅立ってくれた、そんな気がした。

母は最後に私もすぐ参りますからね。と父に語りかけた。
まわりで、とんでもない、母はまだまだこちらですることがるのだから、
まだまだ無理よ、だめだめ。
と追い打ちを掛けた。殆どは私の声。
あとから、母は父を実に大事に想っていた人なんだと、純粋に驚いた。
あんなに我が儘言い散らして、母を振り回して苦労を掛けてきたのに。

伊豆の両親宅、が母宅、になった。
がらんとしている。
父の遺影と祭壇がなぜか賑々しい。
線香の香りが時々リビングにたなびく。

こうして、あっとうまに骨に化した父はまだ伊豆の母と
同居している。
母は遺影祭壇に向かって日々のお勤めとして、花を飾り、お茶を入れ、
ご飯をよそい、線香を焚き、掃除もする。
なにか語りかけながら。

父、87歳。母86歳。

その二人の人生の大半を子供としていたことに気づかされる。
その後、母の妹が二人、続けて亡くなった。
年末年始、一週間を開けない間に。

親戚一同に激震。ざわつく、落ち着かない。母の落胆はきつい。
それでも、いたしかたがなかった、命を続けるのが大変だったのだから、
いつかその日が来ると思っていた、と。
そう思うことにすることしか、心を納得させる手立てがない。
おば、84歳、82歳の二歳違いの激しい戦後を生き抜いたタフなおばたち。
初孫だった私や弟をとてもかわいがってくれた。

そうか、もはや、私達が次の世代へとバトンを渡す準備をしていかなければならないのか。
息子たちの世代、しっかりと現実を見つめなければ。

伊豆の家は、息子の乳幼児の頃からことある毎に遊びに行って通った場所だ。
息子の成育と共にあったのかもしれない。

今年はその伊豆の家に通う回数が増えそうだ。
母の思うように、やりたいように、助力して上げることが父からの遺言だと信じて。

伊豆高原の母宅へ

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昨年、10月末に父を亡くして伊豆高原の両親宅が母宅に変わった。
死後の事務手続きなどが一段落し、なんとか新年を迎えることができたが、
年末年始に一週間を開けずに母の妹の訃報が届き、
母の落胆ぶりは電話の向こうからも伝わって気を揉んでいた。










ご近所の方々や、お世話になっている方々の弔問に支えてもらいながら、
一人残されている現実にすっかり痩せ細ってしまっていた。
弟も時々車で駆けつけてくれていた。

やっとお正月が済んで、我が家も日常に戻ったので新年初の訪問をしてきた。
思いの外、元気そうでホッとした。
仏壇周りや玄関先、和室などに飾られていた花々を庭から花材を集めていけかえ、
家の中が華やかになった。












食事も駅まで買い出しに出たついでに立ち寄った定食屋さんで
焼き魚定食を平らげたし、
朝からちゃんとハムエッグ、トースト、果物ヨーグルト、紅茶を準備して食べていたので安心した。







肉じゃがと大根小松菜あげの煮浸しなどつくりおきした。
これで2、3日のおかずになるだろう。
私の訪問中とても寒い日々で戸建ての家の寒さをあらためて実感。
高齢の母には厳しい環境だろう。
それでも、エアコンやガスストーブを使って
工夫もしているのでまずまず。

帰りの日、とてもあたたかな日となった。
駅まで買い物ついでに立ち寄った古い建物の喫茶店で
母はカレー🍛を完食し、目を丸くした。
私は喫茶店ナポリタン🍝を食べ満足して帰路に立った。


まだ名義変更や納骨など面倒なことが残されて入るけど、
現状、なんとかやっててくれそう。
タフで明るい母で、助かる。
痩せ細った体重もすこし増えてきたと。さすがである。
86歳のタフな母に感謝して、伊豆高原往復をこれからも楽しむことにする。









コロナ禍お見舞い申し上げます。(ご無沙汰お詫び)

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2020年、大変な年明けとなってしまいました。
みなさま、突然のコロナウィルス感染予防に様々な苦難が押し寄せてきましたが、
如何でしたでしょうか。

母の住む伊豆高原にはなかなか動ける機会を持てずにいますが、
なんとか、87歳のひとり暮らしをうまく楽しむ方法を
手に入れているようで、周りの方々に感謝感謝です。

日々、父の仏前にお茶を入れたり、コーヒーを入れたり、
炊きたてご飯をお供えしたり、
お花を献花したりとお世話係も真面目にきちんとしているようです。

私がその立場だったら、日々遺影に向かって語りかけて
お世話をするだろうかとあやしいものです。

参加している市川の文化団体も休眠状態、
いけばなの方も年度内のイベントは大体が延期か、中止となってしまいました。
2次、3次の感染を予防しなければならないことも
大きく影響されています。

なんとか現状の中でも面白いことはないかと思いますが、
人生60年越しになると、これからの人生で必要なものはなにかと考え、
少しずつ身辺整理をしようと思いたち、緩い断捨離活動を進めています。

あと人生20年余りのなかでこんなものを持っていて役に立つのだろうか?
と思うもののまぁ多いことといったらありません。

たっぷり時間のある中で、
ネットで映画をすいぶん楽しみました。

2019年度のアカデミー賞受賞作品「パラサイト」を
映画館で見たのが2月の13日。
以来、自宅で40本余りの映画を見ていました。
様々なものですが、
 今ならではの、「復活の日」「感染列島」「コンテイジョン」「新感染」
 懐かしい「ノスタルジア」「レットドラゴン」
 今流行のネットフリックス「アイリッシュマン」
 デニーロを追いかけて「タクシードライバー」「キングコメディ」
 ホプキンス博士を思いだし「日の名残り」「二人のローマ教皇」
 ベルイマンの「仮面/ペルソナ」
 そこから、今とても注目されているカナダの若手監督グザビエ・ドラン作品
 「私はロランス」「マイ・マザー」「胸騒ぎの恋人」
などなど。熱を上げています。

そういえば、若かりし頃はよく映画館に通って見たものです。

日々美術館やら、お芝居やらに行く算段をしているものにとって、
休館をせざるを得ない状況下、ネットの情報がとても頼りとなりました。
数年掛けて準備した企画展を開催できないことへの残念さは
関係者のかた方々にとってどれだけ落胆されたことかと悲運に嘆くばかりです。
そういった中で、ネットでカメラが展覧会場に入り、
解説をして下さるライブ放送があったり、
はたまた、歌舞伎界でも無観客の事前稽古の映像を期間限定で
配信してくれたり、
じっとしていられない熱のある方々の新しい試みも沢山生まれました。

インスタグラムの活用で、いけばなのデモンストレーションのライブ配信も生まれました。
TVではリモート出演で現場で語ることのできない状況を工夫するようになってきました。お家でいけばな作戦暇を見つけてはちまちま小さないけばなをやってました。お稽古再開された時のいけばな。やっぱりお稽古場の花材は素敵です💖

ネットでオンライン飲み会とかも楽しいようです。
個人的にはなんだか気恥ずかしさが先行して気後れしています。

気持ち的にはなんとかなってはいても、
動かさない身体がじわじわ成長して体重計の針を動かします。
これは大変ヤバイのですが、
この状況下、元気でいることが最大優先としなければならないと、
都合の良い解釈をし、対処もせず、楽しい事へ流れて生活をしているところです。

で、
ついに、
美術館もコロナ対策を厳重にとりつつボチボチ開館し始めました!

しかし、ふらっと訪問するようなことができにくく、
前もって、ネットで予約を取ることが常識になりつつあるようです。
それもまだ不慣れなもので、
まずはその様な措置をされていない美術館へ意気揚々行ってきました。

そこは、江戸東京博物館!!!!

「奇才ー江戸絵画の冒険者たちー」

御贔屓絵師達が居並んで待ち受けてくれました。
この話は、また次回に。

いままでの日常がどのくらい恵まれていたのか、
痛感させられる半年となりそうです。

厳しい中でもポジティブになにか面白いこと、楽しいことを
見つけようと思う気持ち、それだけは忘れないようにしたいと思っています。

それと、ブログ、もっと大切にしていきたいと思います。
(思うばっかり〜〜〜)

ではまたの機会に。あべまつ💖






iPhone SE に機種変更しました。

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iPhone8から、SEに機種変したのはいいのですが、

今、カタカタ文字うちしているMacBookProがそうとうな年寄りだったことを
確認しましたら、2010年もので、
確か、息子と銀座のAppleShopで、買ったものでした。

それなりに重宝していますが、
さすがにスタートアップ立ち上がりの時間がかかりすぎ、
ストレージぎっちぎちで、文字うちも変換がのろまさんになって、
老体にむち打ってるような有様。
10年か〜〜〜iPhoneへの同期をする簡単な方法が使えず、
いちいちアプリを手作業で入れ直すという面倒な事になりました。
そろそろパソコンも買い換え時だと知らされます。

実は、このコロナ禍シーズン、我家の経年劣化期限切れで
ドミノ倒しのように故障が続き、給付金10万円では賄いきれず、
火の車、状態です。(>o<)

まずは、お風呂の給湯器、リモコンが作動しなくなりました。
これが一番大きな一大事でした。
夏を控え、暑がりの汗かきの夫氏、お風呂のない生活考えられません。
一日も早く手を打たねば、でした。
幸いすぐ対応してくれる業者さんをマンションの管理人さんから教わって
難を逃れました。

次、キッチンの蛇口が甘くなり、ポタポタするようになりました。
大事の取り替え工事となってしまいました。
また、同じ業者さんにゴールデンウィークの最中に
取り替えてもらえました。

次、洗面台下の水道管が腐食進行中、気をつけて下さいね、と
業者のお兄さんから助言が飛びました。

えぇ〜〜!!!!
そうなんですか!!!

わかりました。
わかりました。
そのうえ、次、なんとなく、怪しいものがあります。
冷蔵庫です。夏、持ちこたえてくれるでしょうか〜〜

そして、このMacBookPro
買い換えには同じ機種か、
MacAirか。
それなり相等のお値段しますよね。

身体的には皮膚科に蕁麻疹の治療のため通院中ですが、
大掃除の奮闘のあげく、湿疹が全身にぽつぽつ痒い〜
「先生、これは家ダニ、なんでしょうか?」
「いや、違いますね、湿疹です、きっとお掃除が引き金になったのかも知れませんね。」
女医先生、即答です。あぁ、そうですか。

じんわりとコロナ太りも進行しているような気もしています。
見ない見ない。

そして、なお、歯科医に行かねば、気になる歯があるのです。

憂い事が続々です。

まぁ、経年、電化製品は10年持てばよいのだと。

私でさえ、63年経ちました。

色々と蓄積されてきた諸々を点検し、大幅大胆処分の断捨離を進めるようにと
いわれているような気もします。

アート活動も来週からぼちぼち動き出します。
美術館のネット予約、というものでチケットを入手してみました。
久しぶりの国立新美術館です。
楽しみすぎます。
あのトーハクへもネット予約!!
ふらっと行けないことがなによりも杞憂なことですが、
コロナと共存していかねばならないのは、致し方のないことです。

実家の伊豆高原へも、都心からの移動にまだWelcomeな気配がないので、
うかうか訪問するわけにも行きません。
87歳の母ひとり、なんとかやってくれているので助かってはいます。

父が天空に居を移したので、
父の日に贈るウィスキーとかしなくなりましたが、
母が変わらず、父と会話しているので、
よい夫婦だったのだなぁと感心します。

まぁ、そんなこんなの現状ご報告となりました。
どうかみなさまも、日々の生活の安泰のために
貯金、オススメ致します。

すっからかんでございます。





奇才 ー江戸絵画の冒険者たちー 東京都江戸東京博物館

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コロナ禍の新しい生活に慣れるまで
悶々としてきた日々をお送りの方々が大勢いらっしゃったかと思います。
ご苦労されている方々へ敬意を捧げます。
外に出ることで元気を得ていたような生活が
突如謹慎、蟄居命令です。
夫氏も在宅率高まりました。
愚息は水戸なので、まぁなんとかやってくれてました。
近所のスーパーが小さすぎるので、
買い出しさえ躊躇ちながら、思い切って
電車で駅二つ乗りに行きました。

なんとか、二月、三月が過ぎ、
ようやく、日本中の罹患者ダントツの東京都の緊急事態宣言解除の日がやってきました。
とはいえ、まだまだ感染者がいて、50人越えが続いているようです。
「マスク・3密・手洗い」厳守は継続です。

そんな不穏な環境ではありますが、
会期末6月21日と聞いて、たまらなくそわそわしたのが、
「奇才」展のこと、でした。
コロナ自粛期間中、都内の美術館は感染防止のため、ことごとく休館、
展覧会はうまくいけば延期、
残念ながら悲しいことに中止の決定を選ばざるを得ない企画展が続出しました。

前代未聞、のことです。

しかし、しかし、
じっとしていられない美術界の方々がネット配線を通して、
情報発信をし始めました。
ネットがあることを利用しない手はありません。
ニコニコ生動画では「ニコニコ美」として、様々な美術館に潜入して
永青文庫副館長の橋本麻里さんがナビゲートされる
濃密な解説を動画配信してくれました。
なんとありがたい!!!

もれなく、この「奇才」展の配信もしてくれました。
アプリさえ入れたら、タダ見、録画もされてるから、後からチェックもOKなんて、
素晴らしすぎます。
「奇才」展の監修はあの、安村敏信氏。
板橋区立美術館で様々な切り口でワクワクする企画をされ続けた方で、
現在は北斎館館長となって、江戸絵画の魅力発信に尽力されていらっしゃいます。

ニコ美配信では、その安村氏、橋本氏お二人がマスクをしながら会場をめぐり、
耳寄り情報をだだもれ状態で時間制限なしで発信してくれました。
TVでは考えられない作戦です。
ありがたや〜〜
その配信動画を見て驚きました。
エロぐろの極みみたいな、高知の絵師、絵金作品が4点、終盤にぞろっと並んでいるではありませんか。
これは実見せばならない、はやくいかねば、と決断したのでした。
こういうときの決断は早かったですね!

すでに夏になったかのような太陽ぎらぎらの日、6月12日金曜日。
チケットはネット予約の必要がなく、サクッと行けました。
両国駅、ここは、角界のメッカです。
残念ながらコロナ感染の力士関係者さんたちがいたようで、心配です。
直ぐ側の「NOREN」という相撲の土俵がある、和食店の集合スポットで
お蕎麦をちゃっちゃと頂いて、江戸博に潜入しました。

おお、お久しぶり。来場者はどんな感じでしょう?
と懸念しました。なにしろチケット売り場、私ひとりだけ、なのですから。
薄暗い感じが立ちこめています。大丈夫でしょうか?
あの、濃厚なニコ美展覧会潜入ガイドツアーを視聴した方々がいらっしゃっているのでは?
とはいえ、流れてしまいかけた貴重な展覧会、2週間でも開くことができたのは
安堵と感激が交錯します。

会場内に入ると、お、そこそこ人が入っているではありませんか。
静かに神妙にみなさんマスク姿で丁寧に鑑賞されているのでした。
良かった〜〜

会場は奇才と選ばれし絵師35人衆がひしめき合って作品から妙な熱量を放って
見る人を惹きつけています。
東京展では33人とのこと、全員集合ではないのがちょっと残念です。

総数、229点にもおよぶ出展数の中、展示替えや、山口、大坂あべのハルカスでの展示などがあって、
残念ながら81点の出品に限られましたが、
1点から発せられる熱量がはんぱないのでこれ以上出品されたら
見る側の消耗が激しくなるのではないかと思われました。

舞台は
京、大阪、江戸ばかりではなく、諸国にも隠れた奇才たちがいるということを
お披露目する章立てとなっています。


京都はさすがすぎまして、著名すぎる、
宗達、光琳、山雪、若冲、応挙、芦雪、蕭白、
大雅、蕪村、等が居並びます。

敬愛する山雪の怪しげな微笑みの「寒山拾得」と再会できてニタニタしました。
若冲の「鶏図押絵貼屏風」やはり、鶏なのですが、画中の植物がなかなか良かったのでした。
応挙先生、いつもの端正な作品ではなく、こんな謎な絵もお描きになっていたのかと、
そういう応挙先生も荒ぶれるのだ的な展示作品でした。
山雪の「寒山拾得」を見た後の芦雪の「寒山拾得」の脱力ぶりに癒やされます。
芦雪、良い力の抜け方があって愉快な気持ちとなります。
蕭白、彼の異次元な粘っこさは絵を描く事への粘着質な拘りがそのまま
絵に出てしまうところでしょうか。
「楼閣山水図屏風」の枯淡な雰囲気の中でも、その執着が溢れています。
残念なのは、「群童遊戯図屏風」を実見できなかったことです。
いつか、この目で確かめることができますように、と願います。
このように、著名作品のなかから、「変」要素のあるものが出展されています。
それは、監修の安村氏のお眼鏡にかなったものでなければ
ここに展示されないのだと理解できます。
宗達が印象の薄い、他の作品に飲み込まれている、マレな展示会でもありました。

祇園井特が8点の作品から3点。
虎御前と曾我十郎図屏風。
うわぁ、こてこてです!!
彼の作品には花魁の唇が妙に青黒く妖しい気配を放っていることで
強く印象に残りますが、この作品もかなりグロイです。
この二枚屏風、どこに飾っていたのでしょうか。
持ち主の趣味を伺いたいものです。
その隣に本居宣長の肖像2点、これが実にじみです。
同じ絵師とは思えませんが、普通に落ち着いて描けばこのようになるのだと
妙に感心してしまいました。

次に現れたのが狩野永岳。
京狩野家八代の養子となり、27歳の時に家督を継ぎ
57歳で禁裏絵師となって、京都のお公家さん寺院、三井家などの豪商とも関係を持ったそうです。
実力名声、遜色なしです。
その永岳の熊さんの屏風にあれ、この屏風、どこかで?東博で?見た気がしています。
熊さん、描く人珍しいです。
ちょっと虎テイストも混じっているようにも見えます。
金雲が屏風のヘリだけで覗き窓のように画面が窓絵的です。
扇面が出ていますが、ちょっと扇に施されているままなので
繊細なタッチが確認しづらいのですが、金蒔絵のような豪華重厚な雅がつまっていました。

大坂

大坂からは、中村芳中、耳鳥斎(にちょうさい)、林閬苑(はやしろうえん)
墨江武禅、という人選です。芳中は時々大坂の琳派というところで紹介されてますので
ゆるふわな琳派として親しみを持っています。
耳鳥斎、にちょうさい、このひと、変な絵、妖怪、素朴系の展覧会にも紹介されてました。
変な絵と、にちょうさい、読めない耳鳥斎、で覚えていました。
どっちかというと仙厓さんの禅絵的要素が近いのではないでしょうか?
ものすごく適当で観察写生の応挙さんとは真逆です。
でも飄々とさくっと対象を捉えてるあたり、憎めない素敵な絵師さんです。

林閬苑(はやしろうえん)初めての絵師です。
がっちり狩野派に学んだ要素もあるそうですが、出品された作品の中からの
1点だけの展示、残念です。振り幅のある作品を制作されていたようです。
「青緑山水図」丸より少し横長な点描で、のどかな雰囲気の山水図です。
他の会場に展示されるのか、「白孔雀図」は精緻な筆致で南蘋派的、
かとおもえば、「鹿図」「騎鹿人物図」などの水墨画はとてつもなく脱力して
ゆるゆるな作品で不思議な魅力があるのでした。
後に大雅のお弟子さんに学ぶも、39歳前後で亡くなったそうです。

墨江武禅(すみのえぶぜん)
この絵師も初めて知りました。
月岡雪鼎に学んだそうで、何とはなしにはんなり浮世絵を描きつつも
安村先生こんな絵描いた例がない、不思議と仰っていた
「月下山水図」
外隈、内隈を併用して西洋風の陰翳表現にチャレンジしたのか?
月明かりに照らされた幻想的な山水図でした。
「花鳥図」
これは構図は中国絵画的であっても、絵の表現は西洋画をとても意識していることがわかります。
ユニークな絵師が大坂にいたことを知らされました。

江戸

さ、江戸からは誰が?
北斎、国芳、其一、一信、谷文晁、なりほど。
その次、加藤信清、この人知りませんでした。

加藤信清、幕府の下級武士で剣術が巧みのうえ、画も好んで
狩野玉燕に学んだそうです。
この人の凄いところは、経文で仏画を描くことで写経の徳を兼ねると考え、
経文で仏画を描くと決意したところです。
若冲とご縁のある大典和尚が江戸に来たときに
彼の画を見て感動したことで後に京都相国寺や江戸のお寺に
文字絵仏画を寄進されたそうです。
展示された、「出山釈迦図」
経文で描く絵!!
ただの線がみな経文、文字、びっくりするしかありません。
細かな線がみんな文字!!

そこで、あやふやな記憶から、どこかで文字絵、みてます、と
ぼんやり思い出してきました。
芸大美あたりか、超絶技巧展、山下先生の監修か何かで?

狩野(逸見)一信
一信の五百羅漢、江戸博で先の山下裕二先生監修の「五百羅漢図」展が懐かしいです。
あの展覧会で一信の執念の塊で羅漢世界を描ききる情熱に圧倒されました。
展覧会事態も東北大震災3.11の直後、開催を危ぶまれたことも。
今は芝増上寺の宝物館で常設で展示替えしつつも鑑賞できるようになりました。
一信は今の墨田区にあたるところの骨董商に生まれ狩野素川に入門し、
逸見家の婿となり逸見姓をを名乗ったそうです。
35歳の時に増上寺に「五百羅漢図」を描いたことから
増上寺と縁が続いたようです。
とりつかれたように五百羅漢100幅の完成をめざすも、
病に倒れ、96幅以降は妻や弟子によって完成されたという悲劇も
切ないことです。

歌川国芳
彼の作品は上手いんだし、かっこいいんだし、文句ないのです。
そんななかから、
「水を飲む大蛇」
ぬぅっと岩陰から頭を出してじゅるじゅると池の水を飲む姿。
大蛇の真剣な眼差し、本気土が目力に満ちています。
こんな絵も描いたのですね、知りませんでした。

北斎
北斎爺さま、毎度最高です。
中でも長野に行かねば拝見叶わない、小布施の天井絵が
北斎館館長の安村先生のお声がけもあってか、
堂々と展示され、歓喜しました。
「上町祭屋台天井絵 女波」
浪を描く絵師、北斎、その波頭だけが絵となり、
男波とともに制作されました。
この図録で学んだのですが、
この絵の額絵の着色をしたのが、後に紹介される諸国からの奇才
高井鴻山だったそうで、びっくりでした。
額縁のなかにはエンジェルらしき絵もみられ、西洋の花鳥画のような
多彩な華やかなものでした。
男波は残念ながら見ることは叶いませんでしたが、
図録からもその額縁の絵の絢爛さが伝わります。
東町祭屋台天井絵 鳳凰図」
極彩色の鳳凰が天井から見守る、そんな構図だったのでしょうか。
四角い画面一杯に絢爛な鳳凰がじっと動かずに邪気など寄せ付ける間もなく
賑々しく見守ってくれるのです。

谷文晁さんと其一はそう、技量がはんぱないの、ということで、
何でも描く役人肌の文晁さん、抱一のお弟子さん、其一をスルーするかと。はい。

諸国

こちらが今回の大目玉。
岩佐又兵衛の影が薄く思えたのが凄くないですか?
河鍋暁斎、白隠、岩佐又兵衛、仙厓、この巨人たちはいつも光が当たっているので、
蠣崎波響、菅井梅関、林十江、佐竹蓬平、高井鴻山、
田中訥言、絵金、片山楊谷、神田等謙。
ご存じの絵師いますか?第一、名前読めますか?

諸国、北の北海道から日本列島を南下します。

蠣崎波響(かきざきはきょう)という絵師、珍しく、北海道の松前に生まれたそうで、
十代の頃、江戸屋敷で南蘋派の宋紫石に師事し、
北海道に戻ってアイヌの長老との関わりがあって
アイヌを帰順させた指導者12人を描いた「夷酋列像図」が生まれ
後にその絵が評判となって、光格天皇の叡覧がかない、
円山応挙に入門し、松前応挙の異名をとうるまでとなったそうです。
アイヌを描く絵師、それだけでも珍しいものです。
遠くの記憶に渋谷にまだたばこと塩の博物館で、特集があったときに
似たような作品を見たように思います。
実に細やかで微細な衣裳の柄が描き込まれていて感嘆します。

菅井梅閑(すがいばいかん)
次は、北海道より南下して宮城県の商家の長男坊の絵師。
十代から絵画に熱中し、南画の手ほどきを得、
一時、谷文晁に学び、その後上洛、長崎に向かってまた
京坂に戻ってきたが、弟の失明のため、仙台に戻ったとのこと。
転々としてきた人のようです。
50代の円熟期、60代には借金苦で井戸に身投げしてしまったそうで、
お金とお酒、溺れてはいけないものに手を出し、結局は自らも身を投じてしまったのか。
残念です。
作品は梅、が多く、図録掲載作品から大胆な筆致が得意のようです。
他、虎や、鵞鳥など、動物を描いた作品も見たかったです。

林十江(はやしじゅっこう)
この方、水戸の方だったのです。
酒造家に生まれ、醤油業の林家に養子となったとのこと。
変わったことをするのが好きなお人のようで、意表を突く絵を描いたが
江戸で理解者を得られず、傷心の内に帰郷し37歳で亡くなってしまっていたのでした。
東博でも時々陳列される「鰻図」「蝦蟇図」が思い起こされます。
ざっくりと本質を描くことが得意の人のようですが、認められず失意の内に
37歳で亡くなっているとは、ちょっと切ない人生です。
ここでは、「花魁・遣手婆図」が皮肉も込めて描かれていました。
画面一杯の大きなトンボも印象的な絵師です。

河鍋暁斎(かわなべきょうさい)*「ぎょうさい」ではなく、「きょうさい」と読みます。
暁斎、江戸のくくりではなかったのです。茨城の古河が出身だったのです。
生まれて一年後に江戸に一家で出、7歳で国芳に入門するという怪童ぶりです。
私のツボは後に鈴木其一の次女お清と結婚するのです。
其一と姻戚!!!
暁斎に関しては、すでに展覧会場で抜群の技量を遺憾なくお披露目されているのですが、
本当に何でも描いてしまいます。
9歳で死人のスケッチをして怒られるエピソードなんて凄すぎますし。
日本に来た建築家コンドルが彼の弟子となることも
暁斎の手腕が幅広かったことを思い知らされます。
数年前の三菱1号館美術館の暁斎展は大変充実していました。
「惺々狂斎画帳」のほか、「狂斎興画帳」の「とう」に関する画題を
延々と集めたユニークなものは支援者の要望に応えたものなのでしょう。
遊ぶことは正しい!と思える愉快な作品群です。

佐竹蓬平(さたけほうへい)
長野の飯田の近く、伊賀良(いがら)の出身、22歳の時に江戸にでて宋紫石に南蘋派を学び、
京都では大雅を慕ったのちにまた甲府に移動、その後も江戸、九州地方を廻り郷里に帰って
家庭を持つも、九州行きの途中で病を得て58歳で亡くなってしまった、とのこと。
何がしたかったのか、明かではないけれど、作画からは飄々とした雰囲気が出ています。

髙井鴻山(たかいこうざん)
この方、北斎とご縁の深い方のようです。
信州小布施の豪商の生まれで京都で儒教、書、絵の英才教育を受けたようです。
21歳で家庭を持ち後に江戸にも来たりしていたようです。
35歳の時に家督を受け継ぎ、40歳前後の時に北斎を小布施に招いて
祭屋台天井絵制作を依頼したのだそうです。
先にご紹介した北斎波天井絵の額縁彩色を担当したというほどの関係となっていたようです。
ご本人の絵は、妖怪絵の方から名前を知りました。
花鳥図などはとても細密でカラフルな洋画、南画の影響を見ることができます。

白隠
白隠さんは、静岡、沼津の方。
最近はめっぽう有名となられて、自画像の大きな目玉とか、
ユーモア溢れる禅画とか、柔らかな観音さまとか、
図太い線の書とか、多数の作品を展覧会で紹介されてきました。
最近は白隠の作品群が蕭白、大雅などにも影響があったとか、
若冲や、鈴木信春などの黒バック版画へ影響を考えられてきたそうです。
それは大変な影響力だと、思わずまた白隠さんを拝むこととなります。

田中訥言(たなかとつげん)
訥言、どんな方でしょう?
「日月図屏風」この屏風、
確か、どこかの展示会場で展示ありました。
琳派繫がりだったのか、どこか。
調べてみましたら、自分のブログに書いてありました。
2013年(え?そんな前???)のサントリー美術館での「もののあはれ展」に出展されていたのでした。
「日月図屏風」右隻に波頭に沈む太陽、左隻には清流に浮かぶ夜の下弦の月。
たったそれだけなのに、なんと深い詩情溢れる静寂と情感こもった金色の背景。
ひたすら、カッコイ〜〜〜
他の作品は見ることができませんでしたが、静謐、を画面に表すことが
得意だったのではないでしょうか。
尾張の人とされてるそうですが、定かではなく、
幼少時に日蓮宗に入門し比叡山で天台宗を学び、京都の石田幽汀に絵を学び、
後に還俗して土佐光貞門に入って、京都、近江、尾張を往来していたそうです。
技量は確かなもののようで、22歳にして法橋を得て
内裏障壁画制作にもさんかしたとのこと。
実力派だったことが知れます。
他に作品があるものなら、ぜひみたいと思いました。

岩佐又兵衛
又兵衛は戦乱の落とし子的な物語もついて回ります。
摂津伊丹城主荒木村重の子として生まれたのが悲劇の始まりだったのか、
時代の渦に巻き込まれます。
流浪の時を経て40歳の時に福井、越前の松平忠直に召され
「金谷屏風」などを制作し、60歳になって単身江戸で徳川家光の娘の婚礼調度制作などもして
重用されたようです。なにしろ、又兵衛といえば「豊頬長頥(ほうきょうちょうい)という
独特な顔の表現の持ち主です。
今回は、奇才のなかでは目立つ存在ではなかったのですが、
MOA美術館所蔵の絢爛たる「浄瑠璃物語絵巻」を一度見たら
忘れられません。

絵金
そして、ついに、ついに絵金の危険な屏風を初鑑賞するときがやってきたのです。
それも、このコロナの影響下に高知から4点も。
そもそも絵金を知ったのはいつのことだったか、
記憶がおぼろで困りますが、
NHKの日曜美術館だったのかも知れません。
ともかく、激しいえぐみ満載の極彩色に一目でガツンとやられたのでした。
高知のお祭りの時にしか目にする事ができそうになく、
この目で確かめるということは、まずもって無理だろうと半分諦めてもいました。
その絵金作品が4点も居並ぶということ自体にくらくらしました。
土佐の町人の子として生まれ、絵の才能を認められて江戸で修行し帰国するも
贋作事件に巻き込まれて、城下追放という不遇にあう、ということが
あのエキセントリックな画に現れているようにも見えます。
それでも、生涯絵を描き続けて町絵師として活躍できたのだったら、
晩年はしあわせだったのだろうと思います。明治9年まで生きていたのでした。
4作品の内の「伊達競阿国戯場 累」(だてくらべおくにかぶき かさね)
この画中の着物の赤がすさまじく、血糊で染めたかのようなおどろおどろしさ。
劇画元祖系的!

仙厓
仙厓さん、九州の人かと思ったら、実は岐阜県美濃の方でした。
11歳の時にすでに臨済宗で得度し、義梵という号を授かり
修行の道へ。諸国行脚の後博多に終生住み、62歳で病を得て亡くなるのでした。
(私の年齢より早くなくなっている!!もっと長寿かと思ってました)
仙厓さんの描く絵にどれだけ救われたか、笑いを取り戻したことでしょう。
真面目にさくっと愛すべきゆるかわキャラクターを生み出していたのでした。

片山楊谷(かたやまようこく)
ラストです。日本列島南下して、九州までやってきました。
この方、長崎の医師の息子で、父を失った13歳の頃から諸国を遊歴し、
鳥取の黄檗宗寺院興善寺に滞在したと、ひとり単身でいったのでしょうか?
楊谷という方、すごいのは、19歳の時にすでに5人の門人を抱えてたという
早熟っぷり。33歳で鳥取の池田家の茶道家、片山家の養子となったも
41歳で急死してしまった早熟夭折の人生だったそうで残念です。
「竹虎図屏風」
とげとげしい毛並みと一瞬の切り取りで画面に迫力が生まれています。
虎描きの名手といわれたのも、うなずけます。

本来の展覧会ラストには
神田等謙(かんだとうけん)なる謎だらけの絵師がピックアップされていたのですが、
諸事情で鑑賞が叶いませんでした。
雲谷派には奇才がいるだろうと探したところこの等謙を発見したそうです。
さすがの本展監修の安村先生です。

今回の展覧会図録は重量と内容ともにヘビー級です。
でも、この図録がなければ、簡単なメモ程度では
日本列島に散らばる奇才絵師達を追いかけることができなかったと思います。
コロナ禍で自粛生活が続く中、ようやく美術館の解禁があり、
嬉々として伺った、記念としても、
諸々関係者の方々の苦慮に多少なりとも、応援をさしのべたいと
図録を手に入れました。
展示替え、事情があり東京には運びきれなかった奇才の作品を
図録上で鑑賞することもできました。
安村先生の頭の中の奇才ストックがまだまだ増えて
次回の奇才展パート2があることも祈念したいと思います。

展覧会感想記事、久々に頑張りました。
なんて手が遅くなったことだろうと悲観しつつも
ちょっと自己満足的達成感も。
これから、美術館廻りはネットで日時指定予約チケットを手に入れる、ことが
常識になっていくのかも知れません。
ふらっと自由時間に立ち寄れる時がまた戻ってくるのか、
今後1〜2年は難しいでしょう。
それならば、こちらもその事態をうけいれて前に進むしかないのだと
過去の展覧会行脚を懐かしみつつ、iPhoneにネットアプリをいれたのでした。

さて、次は何処へ行きましょうか?

長丁場お付き合いに感謝です。

この展覧会は6/21に東京展を終了しています。
のち、山口県立美術館、あべのハルカス美術館へと巡回する予定ですが、
展覧会サイトで開催詳細をご確認下さい。
奇才展サイト

MacBook Air 新機種になりました。

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ずっと愛用していたMacBook Pro、相当の老化が目立って、
機動するのもまぁゆっくりで、パソコンを開けて、キーボードを打ち始められるまで、
待ち時間が長くなり
また、右クリックが怪しくなり、
画層取り込みの時間も長々しくなり、
さて、いよいよだなぁという頃、
ついに花仲間たちとパソコンで Zoom会議を試験的にやってみようということとなり、
追い討ちをいただけたので、
エイッと新機種へ移行する決断をしたのでした。

灼熱の丸の内Appleに予約を取り、
老機種をキャスターに忍ばせ、
今時のイケメンお兄様から営業説明をいただくものと
緊張して行ってきましたが、ま、距離感をとりつつ、
昭和臭ほんのりするおじさんがお相手してくれました。(期待間違い!)


こんな酷暑の中でも人々は真面目にお仕事に向かっている、
そんな丸の内を後にし、
いそいそと新機種立ち上げてみました。

思いの外、スムーズに行っているような気がします。
流石のMacBook Airということでしょうか。

gooを放置していたら、セキュリティのバージョンアップをしなければならず、
パスワード入力の関所越えをやっとこさ終了して
自分のブログにたどり着いたところです。

本当に、今年は色々家電環境から出費が続く年です。

入力が軽快なので、また最近のアート鑑賞を
上げていけるといいなと、じんわり思っています。


今後とも、ゆるゆるお付き合いをよろしくお願いいたします。

MicrosoftのW ・E・P・の3本をうまく入れ込めますように、が問題です。

ではでは。。
まだまだ暑い日、台風、そしてwith コロナときてます。
ご自愛くださいませませ❤️

2020年3月〜5月 アート鑑賞記録

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2020年の始まりは、いつもの年明けと思っていました。
2月の怒涛のハードスケジュールを乗り越えて、
さ、次、と思っていた頃でした。

じわじわとコロナウィルスの感染が忍びよってきたのでした。
参加予定のイベントも続々と中止、延期となり
花粉症対策のマスクで出かけることが多くなっていきました。
そんな残念な中で、見てきたもの、思い出しながら、
記録していこうと思います。


3月 日本民藝館 祈りの造形 沖縄の厨子甕を中心に

   久しぶりの、が続くばかりですが、日本民藝館もとても久しぶりでした。
   ここの佇まいからして、安堵、安寧を思います。
   日々の生活を大切に丁寧に暮らす、その見本となる環境です。
   憧れ続けていても、自分の暮らしぶりのなんと雑なことよ、
   と嘆くことはさておき、そこの慰安場所に心を整えてもらうのです。
   
   ここもコロナ対策しっかりとされていて、気持ちが引き締まります。
   企画展示室の大広間に
   沖縄に伝わる、厨子がずらり並びました。
   お寺近くの墓所に並ぶ石材とは違って、温かな質感のやきものの厨子。
   素朴な質感と装飾の中にも、故人への思いが伝わってきました。
   他、併設展も沖縄に関連するものが多く、柳宗悦の民藝活動において
   重要な沖縄の工芸を堪能することができたのでした。
   先の首里城の大火災は本当に残念な災難でした。
   大勢の方々から再興への力が注がれますよう願うばかりです。
   
   永青文庫 古代中国・オリエントの美術
   従姉妹宅近くなので、久しぶりに従姉妹とそのお嬢と連れ立って
   細川庭園も楽しんできました。
   永青文庫は相変わらず、重厚感ある邸宅訪問の感覚。
   
   展覧会の最大のウリ、チラシとなった細川ミラーと言われる
   国宝「金銀狩猟文鏡」は展示替となり、若干地味目ですが、
   それでも、国宝「金彩鳥獣雲文銅盤」を拝見できました。
   何しろ、紀元前3〜後1世紀のものを細川護立氏、大正15年のパリで見つけたという
   物凄いエピソードがついていました。
   物を見る人の目の力とは一体どこから身につくのでしょうか。
   また、別室に展示された、渋い高麗茶碗の特集も秀逸でした。
   それらの展示を知るためにも、
   季刊永青文庫は500円で展覧会をカバーしてくれる重宝冊子です。
   桜開花が待たれる時ではありましたが、
   のんびりと細川庭園を散策する楽しみもここならではのことでした。


4月 アート鑑賞なし 

   4月7日〜5月6日まで「コロナ緊急事態宣言」発令
   日本中で自粛生活突入です。
   何をして暮らしましょうか、というときのために、
   映画配信サービスを楽しむこととしました。
   ひたすら映画鑑賞 PrimeVideo、Netflixで10本
   歌舞伎も菊之助さんの国立劇場版を楽しんだのでした。
   映画はコロナ関連、恐ろしい細菌ウィルスとの闘い系の映画を
   怖いもの見たさに見続けてヘトヘトになったり、
   若い頃に見てきた映画をもう一度見直したり。
   映画館での鑑賞もアカデミー賞受賞した「パラサイト」で
   止まったまま、劇場鑑賞も早期に復活したいものです。
      
5月 東京江戸博物館「奇才」展

   コロナ感染予防策で美術館展覧会が軒並み中止、延期、の惨状の中、
   江戸博の「奇才」展が会期も差し迫る中開催するとのこと、
   時間指定予約の手間もないようなので、勇んで行ってきました。 
   この奇才展については、ブログにご紹介しました。

   映画は、新鋭監督、グザヴィエ・ドラン監督映画にハマり、
   こんな切ない繊細な映像にドキドキさせられました。
   勧善懲悪ではない、バタ臭い恋愛でもなく、ミステリーでもなく、
   犯人探しの探偵でもなく、日常の人間生活の本当にすぐそばの話で、
   センシティブで親子、大人との屈折もあり、ドキュメント的で
   カメラがとても丁寧なのです。
   ドラン、あなたの視線、物語に魅せられてます。

   この情報は、セリーヌのアースティッククリエイティブイメージディレクターを
   務めるエディ・スマリンの映画10選に選ばれていて、
   それではぜひ見てみようと思ったのでした。
   エディ選の洗練されたチョイスも私好みにハマった、ということでした。

 とりあえず、3月、4月、5月を振り返ってみました。
 今まで体験したことのない、コロナというウィルスの感染予防対策、
 中国から感染が始まって、世界中にその脅威が駆け回ったことへの驚き、
 イタリアの惨状、そして、パリも、ロンドンも、アメリカにも飛んで、
 ニューヨークも、お隣、韓国にも。
 世界中で感染が広がり、死者数がどんどん増えてきたと日々ニュースが飛び込んできます。
 日本は大丈夫だろうという無責任な淡い想いがなんとか自分を保っていたのかもしれません。

 ゴールデンウィークをどうやって暮らしていたのか、
 既に記憶が曖昧ですが、
 楽しみにしていたイベント参加もなくなり、断捨離活動をポツポツとやったり、
 伊豆高原の母宅で取れた夏蜜柑のジャムやピールなどを作ったり、
 普段できないことを見つけて
 いけばなのお稽古教室もずっとお休みとなったので、
 家でもできるいけばなをやってみたり、
 
 そんなことをしていたのでした。

 6月以降のことはまた、後に続きます。

仙厓 禅画にあそぶ  ・出光美術館(訂正版がアップされてしまいました)

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この人の前に、白隠というゆるい絵を描いた禅僧がいるけれど、
白隠のゆるさを継承しているような、仙厓。
脱力しすぎていて上手いのか下手なのか、
そんなことを鑑賞するのもどうでもよくなる。
だって、嬉しくなってしまうから。
その絵の横に書かれている言葉が一つ一ついい味。

何しろ厳しい世界の禅の修業を積んだ人なのに、
何でこうなっていったのか?

色々な人生はともかく、
自分の目口鼻からよしあしは出てくるのだ。
気に入らぬ風もあろうに柳かな。
鶴は千年、亀は万年、我れは天年。
かの利休も芭蕉も仙厓の手になると
ただの好々爺。
威厳を放つものは何もない。
ただ人々のすぐそばにいるような、温かさが充満してくる。
動物達もすっかり手なずけられ、
竜虎、犬、猪、鶴亀、蛙、トド!!などなども
すっかり野生を失っている。
キャンキャン~~

自身の持ち物にも愛着を持つ。
素材に溢れる自然の力が身の回りに並べて、
さぞさぞ慈しんで使ってこられたのだろう。
石や、木、茶を飲むための茶碗、茶杓、
顔の絵が描かれた茶碗をしまう箱。
象の形をした仙厓の印。扇形の矢立。
どれもが愛おしさが溢れている。

普段の生活をどれだけ大切に愛してきたかが偲ばれる。

ショップで、葉書などを見たけれど、
やはり、トドや、利休や、竜虎や、布袋さんたちを連れて帰りたくなり
図録を買うことにした。

ウィットに富んだ、ユーモア精神溢れる心温かな一言、
それに他人を油断させる脱力のあの絵。
実は本当は相当に画力のある人だと思わせる絵もあり、
実は本当はとても厳しい現実を知っていなければ、
あの脱力はできないのだとも思った。
権力とは別世界で、愛する土地の人々と善行を重ねてきた
潔い人なのだ。

しばし図録でその人となりを学んでみることにする。

同時に朝夕庵の茶道具は、仙厓の墨蹟、
絵唐津の茶碗、絵唐津の煙草入れなどで、
仙厓好みに構成されている。
○のまんじう、これくふて茶のめ、ということか。
さすが出光。

奥の陶片室が綺麗になった。
ルオーとムンクも一つの部屋に独立展示されるようになった。
来月から始まるムンクにも期待するところ。

まずまず私は心地よくなり、嬉しくなり、
ニヤニヤしながら図録を抱えて楽しい気持ちで我が家へ向かったのだった。

*追記
突然、古い記事に行き当たり、誤字を直したところ、
新記事としてアップされてしまいました。

多分、2007年の仙厓展、だったのだと思います。
何事かと思われたかと思います、ご容赦よろしくお願いいたします。

2021年 コロナ感染予防対策は映画!!

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新年明けましておめでとうございます。
すっかり間延びしてしまいましたが、
今年もゆるゆると参りたいと思います。
ご無沙汰の放置し放題のブログ「あべまつ行脚」ですが、
このままの調子でいいのやら、
閉めた方がいいのやら。

コロナ禍の中で美術館アート鑑賞も件数が激減し、
自宅率が高くなり、
いけばなを学んでいても、花展は軒並み延期、中止が続き、
ボランティア文化活動も参加者の平均年齢が高めなので
自粛するしかなく、もどかしい限りです。

そんな中去年からネット配信の映画ドラマに助けられています。

昨年は自宅で映画を100本程度見ることができました。
懐かしいものや、新しいもの、素敵な監督、俳優さんたちに
パワーをもらっていました。

今はすっかり韓流歴史物語から、韓流ドラマにハマって、
日々ウキウキと暮らしています。

韓流歴史ドラマといえば、という名作を知らないまま、
ネット配信の流れに乗って、
おおよその検討で魅力ある作品と遭遇しました。

というのも、秋にテレビ東京で放映された「王になった男」を見ていて、
とても面白かったので、
2000年初めの頃、韓流ドラマでブレークした「冬のソナタ」もスルーしていた
私がすっかり虜になってしまい、
我ながら、何が起こるのか、わからないものだと苦笑しています。

 とっかかりが「王になった男」でしたので、
続けて王様シリーズを追いかけました。

イ・ビョンホン主演の映画バージョン「王になった男」もありました。
テレビでは24回の連ドラでしたが、映画ではイ・ビョンホンの男前が際立つのですが
映画では野卑な色が強かったようで
連ドラの方が物語が丁寧で品格があったように思いました。
中でも都承旨(トスンジ)という王の秘書長のような役がとても重要で
厳しくも筋を通す目力が素敵な、キム・サンギョンという役者さんに惹かれました。

歴史物を見ていると、あちこちでユニークな役をする素敵な役者さんが現れます。

日本の安土桃山時代から、江戸時代の間、韓国では朝鮮王朝時代とかぶり
日本の侍たちも登場したりします。
秀吉は木下、とされていたり、武具具足や髪型着物なども?と思われるところもありますが、
そこが面白いところでもあります。
李朝陶磁器が大道具として配置され、
女性たちの鮮やかな衣装、髪飾りも見応えあります。

14代の光海王は1575年〜1641年に生きた丁度秀吉との戦いで成果を上げたと
言われる王様だったそうで、興味深い王様です。

王様でよく登場するのが、22代王の英祖ヨンジョだそうで、
 「トンイ」「イ・サン」「ペク・ドンス」
 「暗行御史パク・ムンス」などなどがあるとのこと。

嫡子の王座継承の問題でテビママ・大后様の存在がとてつもなく巨大強力で
いつも王様、王子(世子)を取り巻く暗躍と理不尽の究極の人間の欲望をフルスロットで
畳みかけてくるのです。毒素フルスロットです。

最近見た中では「奇皇后」がダントツにエキサイトするものでした。
「ペク・ドンス」の主役を演じたチ・チャンウィクさんが気の良い純朴ひ弱な
若い王様役に奮闘してました。
今や、韓流イケメンランキングでもいい位置にいるようです。声も甘くて歌もお上手!

「ペク・ドンス」でライバルだった、ユ・スンホさんがまた羽生結弦くん似の綺麗な俳優さんで、
「仮面の王 イ・ソン」で主役、綺麗な正義感あふれる王子を演じています。
王子の最初の友として同じ名前のイ・ソンという青年をエルさんというまた素敵な俳優さんが
迫真の演技で対抗します。美しいくも切ないお話でした。

エルさんも音楽活動を兼ねて活動している方。
韓流のイケメン俳優さんたちのクオリティの高さに驚かされます。

王様シリーズ追いかけて「王は愛する」を視聴しました。
主人公の王子に清々しいイケメン、イム・シワンさん。
目を引く涼やかな瞳をお持ちです。彼も音楽活動もしているようで多才!
「ミセン未生」では新社会人の大手商社で職場の理不尽と戦う若者たち4人の物語に
主役抜擢され純朴で心優しくも意外な勝負師を熱演じ
息子を持つ母の目線で涙腺崩壊しました。
そこに「王は愛する」に出ていた俳優さんたちも現れたりして、喜びました。
最近、シワンさん、除隊された後、
新しく「それでも僕らは走り続ける Run on」に主役で登場。
既に切なさ満載で追いかけ中です。
あの直球視線は罰ゲームのように刺さります!

シワンさんと同じように、子役から活躍している俳優さんたちも多く、
「王になった男」の道化と王様の二役を演じたヨ・ジンクさんも
ひょんなところから子役で現れたりします。

大后という巨大権力者を演じられる大女優さんたちにも敬意を持ちます。
恐ろしい女性の凄みは並みの女優さんじゃ務まりませんから。

このように、日々、韓流ドラマを追いかけて、
隙間に家事をするという、コロナ禍ならではの暮らし方をし続けています。

とはいえ、今年も東博・トーハクには初詣いたしました。

アート鑑賞録が手付かずのままですが、
いとも簡単に韓流ドラマにハマった日常を苦笑しつつ、
楽しく暮らしています。

今年も楽しいことを追いかけて、新しい暮らし環境の中、
なんとか健康で生き延びたいと思っています。













 






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